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震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに
井上選手はリレハンメルとアルベールビルに 15歳と17歳で出ているんですが、 その後3回めのオリンピックを目指すとき、 長野オリンピックのシーズンの始めに お父さんが肺ガンで亡くなってしまうんです。 お父さんの応援が井上選手のスケートの 大きな支えだったものですから、 そのお父さんがいなくなったショックで 彼女は長野オリンピックの代表争いに まったく力を発揮できずに破れてしまう。 そこで彼女は一回スケートをやめちゃうんです。 お母さんとしては、 もうやめて当然だなと思っていたらしいんですが、 ある日、突然、井上選手が スケート靴を持って練習に行くんですって。 どうして彼女がスケートをもう一度 はじめる気になったのかということが お母さんにはずっとわからなかった。 それが、今回、全米の代表になって いろいろなインタビューに 彼女がこたえていくなかで、 「お父さんがいなくなって 落ち込んでいる
そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。
パオパ~、パオパオパ~(ほら貝)。 ときは1992年、舞台はフジテレビ。 早朝、さしたる説明もなく とんでもないすばやさで展開する CGアニメーションの嵐、 出てきた子どもたちがこう叫ぶ。 「おーきーらーく、ごーくーらーく!!」 1年半の放映期間だったにもかかわらず、 ウゴウゴルーガは伝説の番組となって そのあとのテレビを ちょっぴり塗り替えていきました。 あの不思議な世界を作った人たちをお招きして、 番組ができたみなもとに近づいてみたいと思います。 ウゴウゴルーガを知らない人も、 テレビが好きだったら、ぜひ、読んでみてね。 もしも遊びが好きだったら、 仲間と仕事をするのが好きだったら、ぜひ、 読んでみてね! ウゴウゴルーガってなんだ? という方は、こちらへGO! 桜井郁子さん ウゴウゴルーガのプロデューサー。 番組冒頭で「おはようございます」と登場する 「テレビくん」の声は、この方の担当
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