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2015年6月21日のブックマーク (2件)

  • 【炭鉱物語】強制でなく「職探しも」…戦後、朝鮮半島に戻るとき互いに「泣いて別れた」(1/2ページ)

    方城炭鉱の見取り図(元方城町文化財専門委員、植田辰生さん提供)。当時は日人も朝鮮半島出身者も連帯感があったという 伯父が筑豊炭田で働いていたという福岡県田川市在住の元飲店経営、李大一さん(64)に、戦前の筑豊炭田の暮らしぶりについて話が聞けた。 李さん自身は日生まれの日育ちだが、実父の李判福さん(故人)が朝鮮半島の大邱(現在の韓国)出身で、戦前、16~18歳のときに土にやって来て、長野県内のダム建設に従事していた。先乗りした判福さんの実兄は筑豊地方の炭鉱で働いていたという。 必ずしも不遇ではなかった 日政府は昭和14年、戦争の長期化による労働力不足を補うため、半島出身者も含めた国民全体を対象に国民徴用令を制定した。 判福さんも伯父も「強制連行」だったというのでその理由を問うと、「父や伯父は大邱の朝鮮人村長の命令で、自分たちの意に反して土に連れて来られたからだ」と話す。一方で「

    【炭鉱物語】強制でなく「職探しも」…戦後、朝鮮半島に戻るとき互いに「泣いて別れた」(1/2ページ)
  • 【炭鉱物語】韓国被害強調に「出身地『差別』なかった」元女性炭鉱社員語る(1/3ページ)

    戦前から戦後にかけ、世界遺産群の対象ではないが、福岡県福智町(旧田川郡方城町)の方城炭鉱に勤務していた福岡市在住の田中好子さん(89)が、産経新聞の取材に応じ、炭都として活気に満ちあふれた当時の様子を淡々と語った。 (九州総局 奥原慎平) 語り継ぐ責任 田中さんが炭鉱について話そうと思ったのは、韓国政府が炭鉱労働に関して朝鮮半島出身者の被害ばかりを強調し、「長崎市沖の端島炭坑(通称・軍艦島)など世界遺産群の登録に反対していることに違和感を覚えた」からだ。自らが経験を若い世代に語り継ぐ責任があると思ったという。 方城炭鉱は筑豊炭田の主力鉱として、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の前身の三菱合資会社が明治35(1902)年に開鉱した。 田中さんは、福岡県直方南高等女学校(現県立筑豊高校)を卒業後、経理担当事務員として三菱鉱業方城炭鉱に就職した。炭鉱労働者の仕事量に応じて給与を計算し、会計係に回す

    【炭鉱物語】韓国被害強調に「出身地『差別』なかった」元女性炭鉱社員語る(1/3ページ)