ついに出ました。何がかというと,違憲無効判決です。広島のほうの高裁の裁判官は頑張りましたね。むかし,憲法の授業で,議員定数規定の合憲性をめぐる判決の勉強をしたことがありましたが,よく考えると,この問題は全然解決されていなかったのですよね(よく考えなくても,そうだったのですが)。 違憲だけれど,選挙は有効というのは,とてもわかりにくい判断だったと思います。法学部生は,こういうわかりにくいことを理解することが大切だと教えられるのですが,素人的にわかりにくいことは,やはりどこかおかしいのです。法学部生は,彼女(法学部生以外であることが大切)に説明がつかないかどうかを基準にしましょう。 選挙を無効とするとどうなるんだよ,書生談義ではダメだというのが,大人の議論とされていました。しかし,国会議員は,そこにつけこんで,選挙さえやってしまえば大丈夫と思っていたのでしょう。選挙に当選するために,あれだ
学部の期末試験や東京労働大学の試験の採点をしていて感じたことがありました。今回の受講生が必ずしもそうだというわけではないのですが,労働法の初学者や労働実務に携わるが,法学部卒ではない人たちが,つまづくポイントがどこにあるのかです。それは法的な作法とでもいうものに関するようなのです。 法的な作法というと,いろんな角度から論じれますが,ここでは非常にシンプルに,普通の人が法律を使うときに必要となる事柄程度のことです。たとえば,法律の議論について,条文をベースに考えていくことは,私たちにはあまりに当然のことなのですが,なぜか条文をおろそかにしている人がいます。これをおろそかにしていると,たとえば誠実交渉義務は,労働組合法の条文で定められていると誤解したりすることが起こるのです。誠実交渉義務という言葉や内容を知っていると,初学者は,それで満足してしまうかもしれませんが,法的な議論というのは,条文
新規に採用することと解雇すること。どちらも雇用契約の存在に関するものであり,企業と労働者の双方の意思が重視されるべきと考えると,採用拒否も解雇も自由であるべきということになります。ところが,日本では,採用拒否は比較的緩やかに認められる(三菱樹脂事件・最高裁大法廷判決のインパクトでもあります)のに対して,解雇には制限があります(労契法16条)。このアンバランスはどこから来ているかというと,つきつめていけば,解雇は,労働者の雇用継続の期待があるからではないかと思うのです。三菱樹脂事件の最高裁判決でも,「当該企業との雇用関係の継続についての期待の下に」と述べているところがあります。有期労働契約の雇止めについて,雇用継続の合理的期待があれば解雇の法理を類推適用するというのも,そういうことだと思います。 ところで,労働問題を考えていくときに,それが純然たる採用拒否なのか,解雇なのかがはっきりしない
大内伸哉が書く労働法をめぐる雑感新司法試験の合格者の祝賀会がありました。神戸大学の成績はかなりよく,一安心でした。合格者の幸せそうな笑顔を見るのは,とてもよいものです。他方で,1昨年に私の労働法を受講していた学生の半分くらいは不合格で,彼ら,彼女らのことが心配でもあります。 それにしても新司法試験は過酷な試験となっています。合格率は3割を切っています。旧司法試験の頃と比べて,合格者は大幅に増えているからいいではないか,というように思う人もいるかもしれませんが,そうではありません。受験機会が3回と制限されていることもあり,受験生の精神的プレッシャーは大変なものです。 合格率が7割から8割という当初の予想どおりであると,法科大学院の教育も,理想的なものとなるのですが,これだけ合格率が下がると,とりあえず合格させるということに教員もエネルギーを傾注せざるをえなくなります。合格させることを意識した
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