昨日のうだうだだが、それからちと、生活世界(Lebenswelt)の扱いが杜撰すぎたかな、と。 所与の世界の意味性というのは、直接的には、欲望とはつながらないし、過去の想起が欲望と関連した感情によって惹起されるものとはいえ、それが生活世界(Lebenswelt)の根底にあるものとは違うだろう。 このあたり、大森(大森荘蔵)のいう風情(ふうじょう)とも関係するかもしれない。 生活世界(Lebenswelt)は、とりあえず、情的世界と言ってもいいし、世界とは人間にとって情でしかない。このあたりも大森用語っぽいが、「天地有情」である。 生活世界(Lebenswelt)というのは、一つには、天地有情と言っていいし、他方ではゲームでもあるだろう。ヴィトゲンシュタインの言語のゲーム性とは、多くの哲学者が言語側に基軸を置いているが、そうではなく、それがプレイされる世界の側が重要だ。その意味で、ヴィトゲン