ソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収することで、合意に達したという。ボーダフォンの撤退は当ブログでも予想していたとおりだが、ソフトバンクがそれを丸ごと買うというのは驚きだ。買収価格が2兆円だとすれば、そのうち1兆円ぐらいは免許の価値だろう。つまり日本の制度では、最初に免許を取得するときは無償なのに、それを会社ごと転売するときには免許に巨額の価格がつくという非対称性があるわけだ。 しかも、この買収が成立すれば、ソフトバンクは携帯電話の「既存事業者」ということになる。「新規参入」の枠として予備免許の下りている1.7GHz帯はどうなるのだろうか(*)。周波数がオークションで割り当てられていれば、こういうややこしいことにはならない。ソフトバンクは、1.7GHzが不要なら、免許を第三者に売却するだろう。ところが日本では、会社を売ることはできても、電波を売ることはできない。 ドコモなども、ポ
やわらか戦車を作るきっかけになったのは、戦争映画を見ていて「ああ、人間とは何とやわらかいのだろう」としみじみ感じた経験だという。 「戦場では、人間がプツプツ死んでいく。戦争には行きたくないな、と思う。一方で戦車というのは『カンカンカンカン』と、硬いじゃないですか。戦車に対して『キミも柔らかくなったらどうか?』と考えた。『人の痛みを知れ』と。『装甲にあまえすぎてやいないか』という、そういう発想だ」 なるほどと思うか、何のことやらさっぱり分からないかは人それぞれだが、いずれにせよラレコさんが具体的に志向したのは“いじめられ”キャラ。やわらか戦車の場合は、いじめられて困っている、泣いている、しかしそのかわいそうなところに「可愛らしさ」が出会う場所を探してキャラ制作しているのだという。 “やわらかい”戦車――という、よく分からないアイデアはどこから出てきたのか。「人と違うズレた解釈をしてガッツポー
相撲の八百長と経済学のフロンティアとの関係とは。 Levitt et al., Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything (William Morrow & Co, 2005) (『一冊の本』2005年7月号) 山形浩生 要約: Levitt Freakonomics は、現代経済学の来るホープの一人、レーヴィットの研究を一般向けにまとめた経済読み物集である。変わった現象を経済学的に説明するという(それも思いつきではなく、ちゃんとデータを元に検討を加えて解説する。その現象も、相撲の八百長や子供の命名、ギャングの家計簿など笑えるものばかりで、きわめて楽しくも洞察に富んでいる。 本書を読んで、二、三度驚きの声をあげない人はいないだろうし、また何度か笑い出さなかった人もいないだろう(もっとも扱われ
ポスト産業資本主義の実験場としてのインターネット デジタル・キャッシュ――貨幣の形式の純粋化 インターネット上の二つの力 デジタル・キャッシュと発行権の所在 コピーレフトの果たす役割 ジョージ・ソロスとケインズ ポスト産業資本主義の実験場としてのインターネット 上野――今日お聞きしたいことは2点あります.1点目は,一口に情報資本主義 といっても、経済の情報化,ソフト化,電子化,ネットワーク化などを情報資 本主義と呼ぶ場合と,もともと資本主義自体がそういう性格を持っていたので はないかということについてです.2点目は僕の率直な感想なのですが,いま, デジタル・キャッシュ等を例として,現実の実体的な経済の動きが直接的にネッ トワークの中に入ってきているという事態は,どこかで近代の原始的蓄積過程 の反復をしているようなところがあるのではないか.原始的蓄積に限らず,近 代の歴史,経済と市民社会の歴
ユン・チャン他『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(講談社)は、上下巻1000ページ以上を4日で一気に読んだ。執筆に14年もかかっただけあって、毛沢東を権力のために平気で殺人を重ねる冷血漢として描く記述には、証拠に裏づけられた説得力がある。 ここに描かれる毛のイメージは、むしろスターリンに近い。なかでも驚いたのは、国内で数百万人が餓死しているのに、他国に自分の権威を示すために大量の食料を輸出していたという話だ。社会主義が生み出した権力者がこれほどよく似ているのは、偶然ではないだろう。国家権力が極大化した社会では、権力のために他のものをすべて犠牲にする者だけが生き残るのだ。
第8回 アメリカ型の論理が日本の相互信頼社会を打ち砕く ~訴訟社会の悪しき流行を撥ね返せ!~ 東京財団前会長 日下 公人氏 2005年12月1日 かつて会社は株主のものではなかった 昔、会社の概要にはたいてい「払込資本金」と書いてあった。古い会社の書類には「授権資本3億円、払込資本1億円」などとあったものだ。これは「この会社は3億円の会社だと書いてあるけれど、株主総会でそういう決議をしただけ(授権)であって、まだ株主から支払われていない分があり、払込済みは1億円しかありません」という意味なのだ。すなわち、実質上は資本金1億円の会社である。 大正時代に、商法に特例を設けて、払込資本金は3分の1でよいとした。だからそうした会社は、正確な意味での資本主義の会社ではない。定めた通りの資本がないという、不思議な会社だったのだ。 これは、そのころは株主などはどうでもいいと思っていた証拠とい
インフォプラントは、iモードサイト「とくするメニュー」上で「夏のボーナス」に関する調査を実施、その結果を発表した。 これによると、この夏にボーナスの支給があったのは回答者全体の76.2%(4645人)。 ボーナスの使い道は、男女とも「貯蓄」が最も多く、男性45.0%、女性58.7%で、全体でも52.4%と5割を超えた。次いで、旅行・レジャー旅行38.6%、衣料・ファッション38.0%と続く。住宅ローンおよびその他のローンの返済をあわせると37.8%に上り、家電・AV機器・PC購入の24.2%を上回った(複数回答)。 なお、ボーナスの使い道についての情報入手先は、「雑誌」が38.0%と最も多く、これに「店頭」(34.6%)、「インターネット」(33.5%)が続く。「インターネット」の割合は若年層で高く、「新聞」は年代が上がるにつれ増加する傾向にある。 また、ボーナスのうち、貯蓄にあてる額は3
自殺者急増で生保が免責延長 (毎日) http://www.asyura2.com/0505/hasan42/msg/646.html 投稿者 スタン反戦 日時 2005 年 10 月 05 日 11:11:39: jgaFEZzEmIsYo http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051004-00000007-mai-bus_all <自殺免責期間>2年を3年に延長 生保大手各社 生命保険の契約後、一定期間内に契約者が自殺した場合、生保会社が保険金を支払わない「自殺免責」について、大手各社が相次いで2年から3年に延長していたことが3日、明らかになった。自殺して保険金を受け取り借金返済などに充てるケースが増えているとの指摘があるうえ、自殺者急増で保険金支払いが想定を大きく超える可能性が出てきたためだ。ただ、遺族に大きな不利益が生じるにもかかわらず期間延長は
Thanksgivingの休日を利用して、シアトル近郊の知り合いの家に子供達を連れて泊まりに行ってきた。シアトルといっても、その家のご主人はマイクロソフト勤務なので、会社のすぐ近くのレッドモンドに最近引っ越したところで、今回初めて訪ねた。 その家族は3人子供がいるので、ベッドルームが5つある大きな家を買った。古い家だしあまり改造もしていないが、価格は40万ドル以下だったという。覚悟はしていたが、うらやましくてなんだか悲しくなった。 我が家の近くでは、この値段ではコンドミニアム(集合住宅)すら買えない。買えるとしたら、スペイン語ができないと住めないような地域でしかありえない。 我が家のあるサンマテオ郡の最近の住宅ミディアン価格は、新聞で公表されている数字でも80万ドル前後。でもこれは、やや誤解を招く数字である。超高級住宅地パロアルトに隣接するイースト・パロアルトという市があるが、ここはパロア
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)、通称「プロ倫」についてなにかを書こうと思うような日が来ようとは思いもかけなかった。「プロ倫」はただ百遍読めばいいのである。 しかし、馬鹿につける薬はないな、プロ倫を百遍読めとばかりも言えないかもしれないご時世でもある。ま、かく言う私自身がその馬鹿の部類でもあろうから、たまに恥をさらしておくのもいいだろう。 とはいえ、この本がなんであるかについてはさすがに省略する。ブログを書く手間はあるが、プロ倫を解説する手間はさすがにない。なので、いくつかティピカルなポイントだけ簡単に記しておく。 カルヴァン的なプロテスタンティズムの「神の選びの教義」とは何か これを、「神が現世における人間の努力やその成果によって人間を選別し、勝利者を救済し、弱者を地獄に落とす」と理解している人は、およそ社会学なり現代社会・政治を論じるに足りない。昔なら、岩波文庫で
「極東ブログ: フランスの暴動について簡単な印象」(参照)で触れたフランスの暴動の話題ももうそれほどブログでも見かけなくなった。ニュースでもそれほど見かけないように思う。が、たぶん車を焼き払うといった度の過ぎた悪ふざけはなんの変わりもなくフランスの日常となっているのではないだろうか。そういえば、カトリーナ被害の話題も似たように衰弱したといった印象はある。米経済についてもいろいろ言われたが現状はなぜか好調だ。 グローバル化がもたらす格差や移民がどうのといった議論がすべて虚しかったとも私は思わないが、旧来の左派やリベラルのイリュージョンがだいぶ含まれていたように思う。というか彼らの現実認識と理念の言葉が奇妙な乖離を遂げていたような印象も受けるし、これは言うべきではないかもしれないのだが、これらのイリュージョンは擦り切れた終末論の二番煎じといった趣きも感じられた。 そうしたなか、ああそこまで言う
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