「日本チャンピオンになって、ブラジルへ行くのが夢です」 1960年9月30日 台東体育館でのデビュー戦後 ブラジルで猪木を見いだした力道山は、いきなり「おい!裸になれ」と一言、猪木の肉体に納得した力 道山は「よし、日本へ行くぞ!」と一言。その迫力に飲まれたまま猪木の運命が決まってしまったとい う。 力道山は猪木をブラジル帰りの日系二世として売り出した。猪木は東京プロレス旗揚げの際に、初めて それを否定したが、それまでは力道山の方針に従った。親戚や友人が訪ねて来ても会わなかった。 そうした背景もあっての発言であろうが、猪木にはブラジルが第2の故郷という意識があるのも事実で ある。新日プロ旗揚げ後に、ようやく念願のブラジル遠征を実現している。 「向こうさえ受けてくれるなら、インターナショナル王座への挑戦もしたい」 1966年4月 東京プロレス旗揚げ前に 日本人対決がタブーだった頃の日プロ時代に