ブックマーク / karibaryokouki.hatenablog.com (10)

  • 久大本線 1868D 由布院~日田 令和3年3月 - カリバ旅行記

    久大線を行く 8 / 青春18令和3年春紀行 3日目 由布院温泉のぬるかわ温泉で湯に入り、金鱗湖の周りを散策して由布院駅まで戻ってきました。 16時21分発、日田行き鈍行列車。 JR九州キハ125の2両編成。 セミクロスシートの車内。 黒光りするボックスシートに腰を下ろします。 列車はし発車くすると、しばらく由布院の盆地の中を走り、 山中に分け入っていきます。 全長1860mの水分トンネルで分水嶺を越えていきます。 野矢駅 由布院から豊後森までは、令和2年7月の豪雨で被災した区間で最後まで不通のまま残っていたところでした。3月1日に復旧したばかりです。 分水嶺を越え、筑後川上流の野上川に沿って列車は走っていきます。 陽もだんだん傾いてきました。 豊後森機関庫が見えてきました 9600型蒸気機関車を見ながら、豊後森に到着します。 伐株山(きりかぶやま)が見えています。 昔、大きなクスが生え

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    VMAX7797 2021/04/18
  • 磐越西線 1228M 会津若松~郡山 - カリバ旅行記

    会津路を行く 12 / 青春18令和3年春紀行 2日目 会津若松駅まで戻ってきました。 青春18きっぷにスタンプを押してもらって改札を通ります。 会津若松駅は行き止まりになっていて、駅をまたいで直通する列車はスイッチバックして進んでいきます。 そこに郡山から入ってきた、会津若松止まりの電車 折り返し9時54分発郡山行き鈍行列車になります。 二両編成の電車の車内 座席シートの形状ははJR東日のものですが、座席配置は国鉄近郊型電車と同じ3扉セミクロスシートです 定刻、電車は発車します。 雪をかぶった磐梯山が見えています 雪の中を電車は突っ走っていきます。 猪苗代駅 木々の隙間からわずかに猪苗代湖が見えました。 電車は山の中に分け入っていきます。 中山宿 かつてはスイッチバック駅で、列車は引き込み線を行き来しながら停車していました。 今はスイッチバックは解消されています。 やがて列車は峠を越え

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    VMAX7797 2021/04/11
  • 春宮から秋宮へ 旧中山道 中編 - カリバ旅行記

    中央線 名古屋発 東京行き 普通列車の旅 10 / 青春18令和2年冬紀行 初日 旧中山道を進んでいきます。 この辺り、下諏訪の温泉街に入ったようです。 新鉱泉館、明治37年創業の温泉旅館だそうです。 道路わきにもちょろちょろと温泉が流れ出していました。 ブロックに貼られたタイルには消えそうな文字で「旦」「過」「湯」と読み取れます。 共同浴場の「旦過の湯」 入浴料は240円、朝5時30分から営業しているそうです。 先に進んでいきます。 「中山道 下諏訪宿 湯田坂 来迎寺」の立て看板 その隣に観光案内板が設置されています この地に住んでいたおかねちゃんという幼女、お地蔵さんの導きで都に上り「和泉式部」になったそうです。 へえ~、和泉式部がこの地の出身だとは知らなかった・・と、その時は真面目に思いましたが・・・ 後から調べてみますと和泉式部に関する伝承は、北は岩手県北上市から、南は佐賀県嬉

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    VMAX7797 2021/01/06
  • 万治の石仏 - カリバ旅行記

    中央線 名古屋発 東京行き 普通列車の旅 8 / 青春18令和2年冬紀行 初日 浮島社がある中洲から、また橋を渡って、砥川の諏訪大社対岸に渡ってきました。 案内板に沿って「万治の石仏」のほうへ進んでいきます。 川沿いに遊歩道を進んでいきます。 諏訪大社に奉納する鳥居を造ろうと石工が岩にノミを入れると、その岩から血が流れ出した。驚いた石工は鳥居を造るのをやめてその岩に阿弥陀如来仏を刻んだ、そうな・・・ 遊歩道を先に進むと、見えてきました。 傍らにある、「浄財」と掘ってある石。上に小さな穴が開いてます。賽銭箱のようです。 「万治の石仏」 先の看板によると、阿弥陀如来像らしいのだが・・・ 巨体に小さな頭、三角形の高い鼻・・・ でも仏様には違いないので、賽銭納めて手を合わせました。 では遊歩道を戻り、公道に出ます。 ではここから、秋宮を目指して歩いていきます。 万治の石仏 長野県諏訪郡下諏訪町

    万治の石仏 - カリバ旅行記
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    VMAX7797 2021/01/04
  • 高千穂神社 中編 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 34 高千穂神社の鳥居をくぐり、参道へと進みます。 天孫ニニギは高天原から日向のくしふる嶽に降臨した後、ここに宮を置きました。 その後、三代にわたり、この地で宮を営まれました。 日向三代が営んだ高千穂宮の跡がここ、高千穂神社といわれています。 高千穂神社の祭神は「高千穂皇神」(たかちほすめかみ) 高千穂皇神は日向三代の神とその后とされています。 即ち初代・ニニギとその后・コノハナサクヤビメ、二代目のホオリとその后・トヨタマビメ、三代目ウガヤフキアエズとその后・タマヨリビメのことです。 ウガヤフキアエズとタマヨリビメの末子、イワレが東征し大和の地で皇室の初代・神武天皇として即位しました。 神社を創始したのはウガヤフキアエズの三男、ミケヌだそうです。(三毛入野命は日書紀での表記) ミケヌは古事記では東征前に異国に旅立ち、日書紀では東征の途中で荒れた海に身を投じたことになっ

    高千穂神社 中編 - カリバ旅行記
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    VMAX7797 2020/12/07
  • 高千穂神社 前編 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 33 ではここから高千穂神社へ向かいます。 高千穂神社は日向三代が宮を置いていた地で、今回の宮崎行きの命であります。 高千穂神社を目指して歩いていきますが、その途中 こんな、二枚の看板を見つけました。 下の看板は公共施設だとわかるが、上の「鬼八塚」とは何ぞや? その公共施設の駐車場にこんなのがありました 案内板には「神武天皇の兄三毛入野命は~」とあります。 「三毛入野命(みけいりののみこと)」は日書紀での表現で、古事記では「御毛沼命(みけぬのみこと)」と表現されています。 (拙ブログ『カリバ旅行記』『古事記の話』では「ミケヌ」としています。) ウガヤフキアエズ(日向三代の三代目)には4人の男児がおり、このうち長男イツセと四男イワレ(後の神武天皇)が日向から大和に向けて東征に出発します。 次男イナイと三男ミケヌは、古事記では東征出発前に別世界に去っていったことになってま

    高千穂神社 前編 - カリバ旅行記
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    VMAX7797 2020/12/06
  • 槵躅神社 後編 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 30 では槵躅神社(くしふるじんじゃ)へのお参りを終えて、境内から延びる遊歩道を降りていきます。 遊歩道をまっすぐ降りると駐車場ですが、 まずは「高千穂碑」のほうに行って見ましょう。 そこは広場になっていました。 一段高い丘の上の上に何やら石碑があります。 これが「高千穂碑」なんでしょうか 「天孫降臨の地高千穂の伝承を顕彰するため(略)昭和四十一年十一月十一日に名誉総裁高松宮宣仁親王殿下の御臨席を仰ぎ、建碑除幕式が行われました」 そうです。 万葉集や日向国風土記からとられた碑文のようです。 歌人の川田順が詠んだ歌碑だそうです。 広場の隅にある、柵に囲まれた樹と案内板 なんかよ―わからんが、学者さんの説明版 横に植えてある樹と何か関係があるのか、わかりません では、そこを離れて遊歩道を歩いていきます。 「高天原遥拝所」 くしふる嶽に降臨してきた神々がここにきて、高天原を遥拝

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    VMAX7797 2020/12/03
  • 鵜戸神宮 吾平山上陵 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 7 殿のある洞窟から出ると、海岸沿いに海岩が広がります。 殿のほうを振り返ります。 では、もと来た参道を戻っていきます。 参道の途中にある門 「吾平山上陵」 鵜戸神宮の御祭神、ウガヤフキアエズの御陵とされているそうです。 門をくぐると、お稲荷さんの赤い鳥居が続いています。 鳥居の先にあった末社、鵜戸稲荷神社 そこの境内に、御陵と、末社の波切神社への入り口がありました。 鳥居をくぐり、石段を少し登ると まっすぐ行くと 御陵、右手に行くと波切神社ですね 波切神社のほうにも行って見たいのですが、バスの時間もあるので御陵のほうだけに行って見ます。 しかし、そこまでの道・・・険しい、延々と続く登り道だった・・・ もういい加減、引き返そうかとあきらめかけたとき やっと着きました。 ウガヤフキアエズの御陵とされる吾平山上陵 では、もと来た道を、今度は足元に注意しておりて 観光客で

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    VMAX7797 2020/11/05
  • 鵜戸神宮 境内末社 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 6 鵜戸神宮殿から横に回ると、いくつか末社が洞窟の中に建てられています。 皇子神社 御祭神はイツセ 鵜戸神宮の御祭神ウガヤフキアエズの長男であり、後に神武天皇となるイワレの兄です。 イツセとイワレの兄弟は都を大和に遷すことを決意し、日向から東征に出港しました。しかし難波の地でナガスネビコとの軍と戦ってイツセは負傷し、それがもとでイツセはなくなりました。 残ったイワレは軍を率いてナガスネビコを倒し、大和の橿原宮で初代天皇として即位します。 この長細いのは「九柱神社」 日の国を産んだ神・イザナギが、死者が行く国である黄泉の国から帰ってきたとき、「筑紫の日向の橘の阿波岐原」で禊をして穢れをはらいました。この禊で生まれた神様が祀ってあります。 ちなみに綿津見三神は福岡の志賀海神社を総社とする全国の綿津見神社に、また筒之男三神は全国の住吉神社祀られています。 殿の裏を、殿

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    VMAX7797 2020/11/04
  • 志貴御縣坐神社 - カリバ旅行記

    山城・大和 古事記の旅  3 / 青春18令和元・2年冬紀行 5日目 三輪駅から歩いて10分少々、 鳥居が見えてきました。志貴御縣坐神社(しきみあがたにますじんじゃ)に続く参道です。 鳥居から続く参道の奥にもう一つ鳥居が見えます。 扁額には「志貴御縣社」と彫ってあります。 ここは第10代崇神天皇が都をおいた師木水垣宮(しきみずかきのみや)の跡だそうです。 (「師木水垣宮」は古事記の表記です。看板の表記「磯城端籬宮」は正史である日書紀によるものです。) 崇神天皇は実在した日最初の天皇だそうです。(諸説あります) 先に進み、神社の境内へ。 境内の一角に石碑と案内板 崇神天皇は当時流行していた疫病を、三輪の大神を祀って鎮めました。 また、当時はまだ日は統一国家ではなく、各地で豪族が覇を争っていました。崇神天皇は各地に軍を派遣し、これらの豪族を自分の支配下に置いていきました。 その過程で越の

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    VMAX7797 2020/02/03
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