皇居では毎年1月、「歌会始」なるものが行われる。 今年も19日に「和」なるお題で開催され、天皇徳仁は「をちこちの 旅路に会へる人びとの 笑顔を見れば心和みぬ」と、能登半島大震災などなかったかのような呑気な歌を詠んだ。 いや、大震災があったにもかかわらずではなく、あったからこそ、まるでそんなものなどなかったかのように予定通りに宮中行事を行う必要があるのだろう。 こうした宮中行事は、現実がどうであろうと、この国は今までもこれからも平穏無事で、為政者が責任を問われるような問題は何もない、という幻想を振りまくためにこそ行われるのだ。 そうした宮中行事の本質が最も露骨に現れたのが、敗戦の翌年、1946年1月に行われた歌会始だった。 この歌会始のお題は、前年の10月25日、つまり敗戦からまだ2ヶ月ほどしか経っていない混乱の最中に発表された。 戦艦武蔵に乗り組んでいて、米軍機による集中攻撃で撃沈された地
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