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日本語に関するWA5Hのブックマーク (5)

  • 「最近の日本語は乱れている!」とか主張すると、なぜ国語学者はニヤニヤするのか。 - 小学校笑いぐさ日記

    なぞなぞです。 母には2回会ったけれど、父には会わなかった、というものなーんだ? ヒント:これは平安時代のなぞなぞです。 (「母には二度逢ひたれど父には一度も逢はず」『後奈良院御撰何曽』) こたえ:くちびる えーと、「なんでだ!」って話を説明すると長くなります。 (有名な話ではあるんですが) 半濁音(ぱぴぷぺぽ)を含む言葉の多くは外来語で、いわゆる「和語」には少ないことは、皆さんご存じと思います。 これはなぜか。 これは、日語の発音の変遷に理由があります。 日語では、古くは、「はひふへほ」という字を書いて、「パピプペポ」と発音していました。 (しかし、文字で説明するのが難しい話題だな) だから、「はは」という言葉を発音する時、実際の発音は現在の「パパ」に近くなりますから、唇が2回合わさるのです。 これがなぞなぞの答えの答え。 さて、もっと時代が下ると、「は行」は「ファ フィ フ フェ

    「最近の日本語は乱れている!」とか主張すると、なぜ国語学者はニヤニヤするのか。 - 小学校笑いぐさ日記
  • 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    みなさま、こんにちは。 管理人のちえ蔵です。 ブログでたき様のを紹介したり、たき様が自由に書き込めるようにしたり、フランス語や英語でもブログを記載したりなど、もっと自由に行いたいので、この度、思い切って、ブログを少しずつ移動することにしました。 ブログの移動先は、金谷武洋公式ブログ; https://shugohairanai.com/ です。新しいブログのブックマークへの登録、どうぞ宜し . . . 文を読む

  • 「新年あけましておめでとう」と書いてはいけない:IT's my business:オルタナティブ・ブログ

    大木さんのエントリ「『ありがとうございました』ではなく『ありがとうございます』」についてはから聞いて知っていたのですが、もうひとつから聞いたことで思い出したのが「新年あけましておめでとう」です。 冷静に(?)考えるとわかるのですが「明ける」というのは期間が終わることを指します(「梅雨が明ける」「喪が明ける」など)。つまり正月に明けたと言えるのは「旧年」であって「新年」ではないのです。「MSN 辞書」(Powered by 三省堂)では、「終わる」の意味は(3)としてあり、これとは別に年が始まる意味として「(2)...新しい年・日や季節が始まる」と書いてありますが、その後ろに「主語を示すことはない」と続いています。つまり「新年あけまして」とは書かないということです。そろそろ年賀状を書く季節ですので、皆様、お気をつけください。どうしても「新年」を書きたければ「新年おめでとうございます」と書

    「新年あけましておめでとう」と書いてはいけない:IT's my business:オルタナティブ・ブログ
  • 池上嘉彦 「日本語は<悪魔の言語>か?——個別言語の類型論の可能性」

    German Version 17世紀に布教のため日を訪れたジュスイット派の宣教師が日語の複雑さに困惑した挙句、これは布教を妨げるための悪魔の仕業であるとして<悪魔の言語>であると断じたという伝説が残っている。もちろん勝手な決めつけに過ぎないけれども、ヨーロッパの言語とは異質な言語に遭遇したときの戸惑いとしては十分に理解できる。逆に日の識者の中にも日語の「異質さ」を殊更に強調する向きが一部にあり、これがまた「<日はユニーク>という神話」として外からの批判の的になることも知られている通りである。 言語学の枠内でも言語間の異同という点についての議論は、<相対性>を強調する立場と<普遍性>を強調する立場の間で大きな動揺があった。しかし、もっとも新しい傾向としての<認知言語学>の流れの中では、人間の認知の営みによって規定される一定の枠内での動揺という形で<類型論>的に捉えるという方

  • メタ情報とサマリーで「伝わる」ビジネス文 ― @IT自分戦略研究所

    コミュニケーションスキルの土台となる図解言語。だが筆者によると、実はその裏に隠れた読解力、国語力こそがITエンジニアにとって重要なのだという。ITエンジニアに必須の国語力とはどのようなものだろうか。それを身に付けるにはどうしたらいいのか。毎回、ITエンジニアに身近な例を挙げて解説する。 ビジネスやエンジニアリングの世界では、実務的な国語力=「情報を整理整頓して分かりやすく他人に伝える能力」が不可欠である。しかし困ったことにその実務的な国語力を学校ではなぜか教えてくれない。典型的な失敗を学び、そこから実務的な国語力を養おう。 ■実務的な国語力が必要とされている 20年前、高校生だった私が最も嫌いな教科は国語だった。 その私がいまでは国語教育の改革の必要性を訴えて旗を振っているというのも妙なものだが、私の理屈は首尾一貫している。要するに「無駄な教育はやっても無駄、まともに意味のある教育をしよう

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