三国志に関するWarEmblemのブックマーク (2)

  • 渡邉先生の名士重視を念頭に置いた私的三国時代の流れ1 - ポリバケツブルー~回天編~

    自分の考えの確認も含めて、渡邉先生の名士重視を念頭において三国志の流れを簡単にまとめてみます。 誤りがありましたら指摘していただければと思います。 後漢(東漢)成立 前漢(西漢)から王莽が簒奪し、新を興すも、現実離れした理想・回顧主義的な政治を行ったため、赤眉の乱を招き一代で滅んだ。 その後、中国を統一したのは南陽の豪族で前漢の皇統に連なる光武帝劉秀だった。 光武帝は王莽のような簒奪者を再び出さないよう、前漢から引き継いだ官吏任用システム「郷挙里選」に強く儒教を絡めることとした。 すなわち、「孝廉」という、父母への孝行や物事への廉正な態度を評価する項目を特に重視するようにした。 つまり、勉学に通じるといったことよりも、儒教に即した「日ごろの行いが良いこと」を重視して官吏を任用していた。 地元豪族が推挙した者が採用されるパターンが多いため、選出されるのは主に地方の豪族の子弟であり、官途を開か

    渡邉先生の名士重視を念頭に置いた私的三国時代の流れ1 - ポリバケツブルー~回天編~
  • 三国時代の度量衡 - ポリバケツブルー~回天編~

    ということで手始めはこれ。役に立つのか立たないのかわかりづらいラインだな……。 とは言えアレなんですよ、こういうところをわかっていないと色々な資料もね、現実味を持って把握できないと言うか、何と言うか。 1尺≒24センチメートル 日では1尺が大体30センチメートルなので、そのまま当てはめると諸葛亮の身長八尺というと2メートル40センチの巨人になってしまうのですが、中国と日では1尺の長さが異なり、中国でも時代により1尺が異なります。 時代により長さが異なる、ではそれはどうやってわかるのかというと、出土する定規(尺)に頼るしかありません。埋まっている間に長さが変わってしまっていることも考えられるのですが……まあこればっかりは仕方ないので。 で、後漢の安微省出土の銅尺は長さが23.75センチメートル、呉から出土したものは江西省博物館の銅尺は23.5センチメートル、江西博物館蔵銀乳釘の竹尺は24

    三国時代の度量衡 - ポリバケツブルー~回天編~
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