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ブックマーク / informatics.cocolog-nifty.com (3)

  • 個人の問題と社会の問題―幼児虐待死の議論を通して : ニュースな待合室

    ◎個人の問題と社会の問題は別 自分は、「個人の問題と社会の問題は分けて考えるべきだ」ということを、このブログで繰り返し主張してきた。個人の問題であることと社会の問題であることは「何対何」というように分離できるものではなく、両立するものなのだ。そして、「両立する」ということを理解した上で議論することは、無駄な論争を避けるために非常に重要である。 さて、最近、幼児虐待死事件が話題だ。母親がドアにテープを貼って子供を外に出られないようにした上で、ホスト遊びをし、餓死させてしまったという事件である。自分もこれだけの話だったら、そのままやり過ごそうと思ったのだけど、ちきりん氏や罪山罰太郎氏が、「社会の問題」であると指摘し、これが非難を浴びるという流れになって、事情が変わってきた。一応、この分野を専門にしていると自称している人間として、一言書いておこうと思う。 俺自身、ネグレクトした母親は悪いと思うし

    WinterMute
    WinterMute 2010/08/04
    "これが非難を浴びるという流れに" なってるの? 肯定する反応の方が多い感じだが、観測範囲の違いかな。
  • 権利の条件に義務があるって本当ですか? : 情報学ブログ

    権利の条件に義務があるというのは正しい場合もありますが、これが成り立たない権利があり、それが「人権」と言われているものです。ウソだと思うなら、憲法を見ればいいでしょう。小学校で習う超基事項ですが、最近の伊吹文部科学大臣の「人権メタボリック症候群」発言にまつわる議論を聞いていると、どうもこのことが誤解されているような気がするのです。 もちろん、「権利には義務がつきもの」という状況があるのは分かります。しかし、これは少なくとも「人権」についてそのまま当てはめるのは「人権」の意味を誤解しているとしか言いようがありません。 (1) 権利と義務 権利と義務は対になる概念です。なぜなら、ある人に権利があるということは、他の人にはそれを守る義務があるということだからです。しかし、これだけだと、権利があることは、そのまま義務があるということを意味しません。ある人に権利があることが示すのは、あくまで<他の

    WinterMute
    WinterMute 2009/12/06
    "単純に言えば、「義務がつきもの」ではない権利が人権です。そうである以上「人権には義務がつきもの」という主張はどう考えても正しくないのです" 補足も合わせてよい記事だった
  • アフラトキシンの毒性はどのくらいかまとめてみた : ニュースな待合室

    9/13 解説記事を全面改訂し、大幅にデータ・出典を充実させました。図に掲載したデータ以外にも多数のデータを掲載したので参考にしてください。 9/16 「その他の論点」として、「アフラトキシンの毒性の評価」以外に、事故米中のアフラトキシンの偏りなど、関連する論点を取り上げました。 三笠フーズの汚染米騒動でアフラトキシンの毒性が話題です。動物実験でアフラトキシンが実験動物の100%に肝臓がんを引き起こすという実験データが話題になり、ここから、「100%肝臓がん」という言葉が一人歩きしている面もあるからです。 では、アフラトキシンはどのくらいの濃度でどのくらいの毒性をもたらすのでしょうか?ネット上で手に入るリソースをもとに、アフラトキシンの毒性を検討してみました。実は、この記事を書くに当たって、「どうせそんな毒性があるわけないだろう」という先入観を持って調べたのですが、実際に調べたみたら、解釈

    WinterMute
    WinterMute 2008/09/17
    "事故米を毎日米飯として食べたような場合" この前提おかしくない?
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