先日ある読書会に出ていた時、一緒に参加していた友人がこんなことを言った。「どうせ死ぬんだと思った人が無差別殺人をするのを、どうすればなくせるんだろう?(大意)」自分は大体こんなふうに答えた。「どうせ死ぬと思ったから人を殺すわけじゃない。余命数ヶ月の宣告をされたがん患者は無差別殺人をしない。あれらの人たちは、ああいうことがしたくてやっていると思う。あれをなくすには彼らが褒められればいい」 これは前回のブログの続きだ。前回書いたのは、京王線ジョーカー氏が首吊りを2度失敗したと証言したことから、「死刑になるためにやった」発言そのものが信用できず、彼のやりたかったことは、あのジョーカーの格好と大騒動そのものだったのだろうということだった。 もうひとつ似たケースとして、東大前無差別殺傷事件を見てみよう。東大志願者のあの犯人は「死刑になって死ぬため」という論法は取らなかった。よく似ているが死刑は通さず