「命」は主張はしません。ありません。「意識そのもので幸福」と言えます。 形を持たされた私達は自己主張をします。・・・・・ 「命、よろこんでいる」と表現していることは、 言葉で本質そのものに気付き易くなると気付いたからです。 そう表現しても、しなくても、言葉にして言っても、言わなくても、 「命、よろこんでる」ことは、関係なく変わり有りません。 しかし、 形を持たされた私達は、意識しないとそれに気付けないようです。 命、よろこんでいる
「命」は主張はしません。ありません。「意識そのもので幸福」と言えます。 形を持たされた私達は自己主張をします。・・・・・ 「命、よろこんでいる」と表現していることは、 言葉で本質そのものに気付き易くなると気付いたからです。 そう表現しても、しなくても、言葉にして言っても、言わなくても、 「命、よろこんでる」ことは、関係なく変わり有りません。 しかし、 形を持たされた私達は、意識しないとそれに気付けないようです。 命、よろこんでいる
自衛隊が軍隊になってもならなくても、 それによって平和が確立されることはありません。 これを議論する前に、 幸福を追求する権利の幸福が何かを議論することをお勧めします。 自然や宇宙、動植物の生命や寿命、等の原因である「命」、 聖書や仏典もできていなかった以前、 勿論、私達の先祖も存在していなかった以前からの「命」、 全ての原因であり、何時もよろこんでいる意思で、「生きている命」が「幸福」です。 「命、よろこんでいる」「幸福」に気付けば、平和はそこに確立しています。 気付かないと言うことは、脳が現象に騙されていると言えるのではないでしょうか。 命、よろこんでいる
あらゆる現象に素早く反応するのは我々自身のはずですが、 実は我々の脳そのものです。 正確に言えば、脳が機能しているのですが、脳が自在に働いている感覚はありません。 ただ、自分は少しでもより良く生きたいと言うことを目指している自己意識がそこに働いています。 悲しみ、悩み、励んだり、楽しんでいる、等、 全ての時を自分が体験していると思っています。 それこそが、自分が「生きている」ものだと、 疑うことなく自己の存在を主張しています。 寝ている時に見ている夢の主人公も、自分と言う意識が働いています。 しかし、全く自分が意識されない時間は、 自己は消えているのかどうかさえも判りません。 例えば、全身麻酔がかけられている間、 自己意識はどうなっているのか完全に解らなくなります。 詰まる所、脳の機能によって自己の存在の有無が決まるようです。 私達は脳と自己との関係を区別して考えた事もないかもしれません。
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