2006年8月10日のブックマーク (1件)

  • 靖国神社、そして葦津珍彦 - Living, Loving, Thinking, Again

    『毎日』の記事なり; 靖国:「戦後」からどこへ/3 神道史大御所の論文 「A級合祀」に疑義 A級戦犯合祀(ごうし)は78年10月、松平永芳宮司が人知れず敢行した。翌79年2月、神社新報編集長だった葦津(あしづ)泰国氏(69)は、意を決して松平宮司に面会を申し入れた。「職員が帰ってから来てくれ」と言われ、社務所応接室を訪れたのは夜だった。 「問いただしたい。靖国神社が(世論の支持の下に)国家護持された暁に晴れて(A級戦犯を)合祀するというのが祭祀制度調査会の一致した考えだった。ご存じか」 同調査会は、神社の国家護持を追求した宮司の諮問機関。61年に設立され、泰国氏の父で思想家の葦津珍彦(うずひこ)氏(92年に82歳で死去)は中心メンバーだった。A級戦犯合祀は委員たちも反対していたのに、松平宮司は相談もせず踏み切ったのだ。 しかし、白い上衣に紫のはかま姿でソファに身を沈めた松平宮司は「国から名

    靖国神社、そして葦津珍彦 - Living, Loving, Thinking, Again
    YOW
    YOW 2006/08/10
    靖国合祀となった当時、推す側と批判側の神道宮司、学者たちの事。最後のこの一文も良い。>「コメ輸入自由化」を阻止できなかったのは、政治的敗北である以上に、神道にとっては宗教的敗北だっただろう。