社会構造の変化とか下部構造の変化とか、「大きな構造論」で社会的な事象を分析してみせる芸風が流行りすぎなのである。 無論こうした芸風は、当節にわかに人気になったわけではない。19世紀の中頃に人類が社会科学なるものを発見した時からの流行りではある。だが、近頃は、あらゆるものに「大きな構造論」を持ち出す作法が社会に定着してしまった。女子高生が割れたiPhoneを使い続けるのも、熟女AVも、みな、「構造論」で語られる。そうしたものの見方は確かに新しい知見をもたらせてくれることもあろう。だが、「構造論っぽい総括さえしてりゃ、何かを批評したかっこがつく」という怠慢をも産む。いや、近頃、この怠慢の方が目につくのではないか。 イギリスのEU離脱やトランプ政権の誕生を見て、「中間層の反乱」「反グローバリズムの台頭」とか言ってのければ、何かを論評したかのような顔はできる。だが本当にそうだろうか?反グローバリズ