2019年5月18日のブックマーク (2件)

  • 「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) 軌跡 - 日本経済新聞

    米ボストン美術館には大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)出土とされる古代の鏡や大刀などが収蔵されている。「1872(明治5)年、堺県(現堺市)の県令(知事)が立場を悪用して仁徳陵を発掘した際に持ち出した品」。こんな説が小説などを通じて広まっている。確かにこの年、堺県が「墳丘を清掃して石を取り払ったら穴が開き、石室を見つけた」との文書を国に提出している。これが意図的な発掘だったというのだ。出土した

    「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) 軌跡 - 日本経済新聞
    YOW
    YOW 2019/05/18
    「ボストン収蔵品は岡倉天心が買い付けたものだった。当時の記録で唯一残る会計報告書には古代の墓とのみ記され、仁徳陵の名は無かった」が、仁徳陵出土となってると
  • 五色塚古墳 - Wikipedia

    五色塚古墳(ごしきづかこふん、千壺古墳<せんつぼこふん>)は、兵庫県神戸市垂水区五色山にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財・神戸市指定有形文化財に指定されている。 兵庫県では最大規模の古墳で[注 1]、4世紀末-5世紀初頭(古墳時代中期)頃の築造と推定される。日で最初に復元整備が行われた古墳として知られる。 項では、五色塚古墳の西側にある小壺古墳(五色塚古墳と合わせて国の史跡)についても併せて解説する。 概要[編集] 兵庫県南部、神戸市西部の垂水丘陵南端部において、眼下に明石海峡を、対岸に淡路島を望む位置に築造された巨大前方後円墳である。古墳名の「五色塚」や「千壺」は江戸時代から見られる呼称で、「五色塚」の由来には諸説があり詳らかでないが[注 2]、「千壺」の由来は墳丘上の埴輪群によるという[1]。古墳域は戦前には松林として保護されていたが、戦中に松

    五色塚古墳 - Wikipedia
    YOW
    YOW 2019/05/18
    復元工事したのはいつか、書かれてないな