2019年6月6日のブックマーク (2件)

  • 天皇の制度と日本共産党の立場/志位委員長に聞く/聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長

    この機会に大から考えたい――日国憲法と改定党綱領を指針に 「しんぶん赤旗」・小木曽陽司編集局長 この間、天皇の「代替わり」が行われました。新しい元号の発表、新天皇の即位、「代替わり」の儀式などが続き、即位にあたっては衆参両院で「賀詞」決議が採択されました。これらの動きに対する日共産党の対応がメディアでも話題になり、「もっとよく知りたい」「真意はどこにあるのか」という声も寄せられています。 志位和夫委員長 この間の一連の動きへの対応で、私たちが指針にしてきたものが二つあります。一つは、日国憲法の条項と精神です。もう一つは、2004年の第23回党大会で改定した日共産党綱領です。私たちは、この二つを指針に、天皇の「代替わり」、さらに現在の天皇の制度にかかわるさまざまな問題に対して、慎重に、また厳格に吟味し、発言や行動をしてきました。 ですから、今日は、この一番の基にたちかえって、現在

    YOW
    YOW 2019/06/06
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  • 黒鳥四朗 - Wikipedia

    黒鳥 四朗(くろとり しろう、1923年(大正12年)2月 - 2012年(平成24年)2月4日 )は、大日帝国海軍の戦闘機搭乗員(偵察員・銃手)。夜間戦闘機(丙戦)月光に搭乗し、倉十三飛曹長(操縦士)とのペアで土防空戦を戦い、B-29を6機撃墜した。最終階級は海軍中尉。 経歴[編集] 東京高等農林学校(現在の東京農工大学農学部)に在学中、航空機メーカーでの木材の研究を志し、川西航空機株式会社に就職が決まったが、海軍への志願により辞退(休職扱い)。 1943年(昭和18年)9月10日、土浦航空隊へ飛行科予備学生として入隊。2ヶ月の基礎教育を受ける。同11月29日、鈴鹿航空隊へ偵察員として配属される。偵察専修教程を学ぶ。教程の終了頃に、偵察員の中で実際に敵機を追い、攻撃できる機種は夜間戦闘機しかなかったため、夜間戦闘機を熱望した。 1944年5月、少尉に任官。横須賀航空隊の第一飛行隊第

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    YOW 2019/06/06
    夜間戦闘機(丙戦)月光の搭乗員 夜間視認を高めるとして「暗視ホルモン」と称する塩酸メタンフェタミンを投与させられていたが、視認性向上の効果はなかったと。昭和26年感覚症状が出、症状が消えたのは昭和60年頃と