■笑いの底に人間味 トキワ荘で赤塚不二夫さんと初めて会ったのは、昭和31年の夏だった。寺田ヒロオ、藤子不二雄(当時の藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)の共同ペンネーム)、つのだじろう、私などのグループ「新漫画党」に加入し、初会合のときだった。当時、赤塚さんは石ノ森章太郎さんの「東日本漫画研究会」にも入っていて行動を共にしていることが多く、この時も二人一緒。エネルギッシュなニキビ面の石ノ森さんに比べ、赤塚さんはいつもその後ろに従っている色白のおとなしい美青年だった。 雑誌に連載したいという思いでトキワ荘に入ったのだが、赤塚さんはなかなかチャンスに恵まれなかった。貸本屋向きの悲しい少女漫画などを描きながら、売れっ子の石ノ森さんの手伝いをしたり、食事の用意をしたり。アシスタントのようなことをしながら約2年後にやっと芽を出す。その初の月刊誌連載「ナマちゃん」で自分の道を見つけたあとは、次々に短編を