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ブックマーク / akatsukakyokai.org (2)

  • イエスによって感謝する(コロサイ3章12〜17節) - 赤塚バプテスト教会

    コロサイの信徒への手紙3章12〜17節、ここには「感謝」という言葉が何度も出ています。「いつも感謝していなさい」(15節)、「感謝して心から神をほめたたえなさい」(16節)、「イエスによって、父である神に感謝しなさい」(17節)。私たちは「感謝」という言葉、日常でどれだけ使っているでしょうか?ある人はこう言いました。「聖書に感謝という言葉がたくさん出てくるけれども、感謝できることは少ない」。自分にとって良いことがあったら、神様に感謝できますが、そうでないときはなかなか感謝できないかもしれません。「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(17節)。何を話すにも、行うにも、というのは私たちの日常生活のことです。すべて主イエスの名によって行い、というのは、いつもどこでもイエス様が一緒におられることを意識していなさい、ということでは

  • 神に喜ばれる生き方を求めて(ガラテヤ1章1〜10節) - 赤塚バプテスト教会

    ガラテヤの信徒への手紙1章10節には「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」とあります。新共同訳聖書で「人に取り入ろうとしている」が口語訳聖書では「人に喜ばれようとしている」、新共同訳聖書で「人の気に入ろうとあくせくしている」が口語訳聖書では「人の歓心を買おうと努めている」となっています。人に喜ばれようとすること、人の歓心を買おうとすること、それ自体が悪いことではありません。しかし、ここで言われていることは、神様に喜ばれることよりも人に喜ばれることを求める、神様よりも人の目を気にする、人の評価を求める、そういう生き方が問われているのです。そして、それはキリストの僕としての生き方ではない、とい

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