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ブックマーク / dct3.net (2)

  • 主のために生きる - 日々のみことば

    14:7 わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 14:8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 14:9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 「自分のため」ではなく「主のため」に生きるようになり、「主のため」に死ぬようになると言われています。初代教会の信徒たちは、まさにそのような生き方をした人たちでした。激しい迫害の中にあっても、職場を追いやられたり家を追い出されるようなことになっても、キリストに従い抜いて、皇帝礼拝を拒否したために投獄されたり、殉教の死を遂げる人たちも少なくなかったのです。 この時代のクリスチャンたちは、「主のため」に生きたのですが、私たちはどうでしょうか。イエ

    主のために生きる - 日々のみことば
  • 神の前に生きる - 日々のみことば

    14:10 それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。 14:11 こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、/すべての舌が神をほめたたえる』と。」 14:12 それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。 神を神として認め「主のために生きる」ようになった者は、もはや兄弟を裁くことはしなくなるのではないかと言われています。すべての者は神の裁きの座の前に立つことになるのですから、私たちの思いや行動は、神の前にすべてが覚えられていることを忘れてはなりません。 神の前に生きるということを、ラテン語で「コーラムデオ」と言います。神様はこの肉眼の目で見ることは出来ませんが、神によって信仰を与えられ、神を神として生きるようになった者

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