真の貧乏とは 若い頃、明智光秀が仕事を欲しいと越前に渡った理由は、実に実に涙なしには語れないようなつつましやかな理由からだった。 彼には妻がいて、子どももいた。家族にまともな食べ物を与えたい。 雨水じゃなく井戸水を飲ませたい。味噌をつけた麦飯でかまわないが、毎日メシをくわせたいし、できれば、それを1日2回はありつきたいと思っていた。 教養深く頭の回転が早い優秀な男が、切実に望んだもの・・・ それは、家族を養うコメ! そう、彼の望みはそういうシンプルなものだったと思う。 食べるものと雨露をしのぐ場所が欲しいだけの極貧生活で、考えることは一つしかない。いかに、今日のメシにありつけるか。 彼は美濃から北陸へ向かう道すがら、空を見上げて不安を感じたろう。 なぜなら、この貧しさは自分のせいだと責めるような男だったからだ。 貧困には2種類あって、本当の貧困と、比較しての貧困がある。 光秀の状況は現代の