タグ

art_マンガ&アニメとbeh_セクシュアリティに関するYuletide_joyのブックマーク (4)

  • 良い妄想、悪い妄想(再録) - FemTumYum

    ひさしぶりにネット上をうろうろしていたら、やおい・ふたけっと系のサイトについて、とても興味深い議論が交わされていた。その話題自体は、「やおい系」というのは(おそらく)分野的にわたくしの専門であるはずのところにかなりかぶってくるテーマなのだけれども、不明にして殆どリサーチも考察もしていないので(そしてその割にかなりinflammableなトピックだし)とりあえず今は口を閉じておくとして。(などと書いてほうっておいたら、既に話はちょっと他へと動いてしまっていたのだけれども、まあ、以下はそこでの議論に直接関係があるわけではないので、そのままアップしちゃいます) その議論を読んでいてちょっと思い出したこと。というより、常にアタマのどこかに引っかかっていることなのだけれども。 クイア・スタディーズのゼミで、「性の商品化」はありやなしや(って何だか大上段ね)というテーマでのディスカッションがあった時の

    良い妄想、悪い妄想(再録) - FemTumYum
    Yuletide_joy
    Yuletide_joy 2010/08/30
    "他者の痛みをその源にするような性的快楽を...「ファンタジーの自由」なり「性的欲望の自由」という形で安易に承認して事足れりとするのは、やはり違うのではないか、彼女はそう言ったのだった" cf.戦争ポルノ
  • Gay Life Japan | 飯島愛さんがゲイについての絵本を企画していました

    ファッション誌『GINGER』特集で明らかにされた愛さんの思い 昨年12月24日に都内の自宅マンションで亡くなっているのが見つかった元タレントの飯島愛さん(享年36)。ゲイの間でも世間でも、その早すぎる死を悼む声がたくさん上がりました。23日創刊の女性ファッション誌『GINGER』に「真実の飯島愛 ~ココロの天才が命を削って伝えたかったこと」という、ご両親や付き人の方などのインタビューを集めた特集が掲載されています。その中で、飯島愛さんがゲイについての物語を絵&アニメとして世に発表しようとしていたことが明らかになりました。飯島愛さんという方がどれだけゲイのことを思っていたか、追悼特集をお送りしたいと思います。 昨年12月24日に都内の自宅マンションで亡くなっているのが見つかった元タレントの飯島愛さん(享年36)。ゲイの間でも世間でも、その早すぎる死を悼む声がたくさん上がりました。  23

    Yuletide_joy
    Yuletide_joy 2010/06/11
    ” なぜ男は男として生き、女は女として生き、性別に縛られて…「原案・飯島愛、監修・押井守」の物語「Ball Boy & Bad Girl」は、いつか押井守氏の手によって熟成され、世に出ることになるだろう、と書かれています”
  • 愛ゆえのレイプ、愛国心ゆえのレイプ - HODGE'S PARROT

    『言葉と傷』という題名の論集に寄稿した法学者や活動家たちは、憎悪発話の規制に理論的根拠を与えようとして、「発話」の法的範囲を拡大したり、複雑化する傾向がある。これが可能になるのは、発言を思想の「表現」であり、かつ「ふるまい」の形態であるとみなすことによってである。個々の人種差別的な発話は、それが向けられる人々に人種的劣性を宣告すると同時に、その発言をとおして、その人種を従属的立場におく効果を生みだす。 マツダ(=マリ・マツダ)らによれば、発言が憲法修正第一条の「保護」を受けているかぎり、その発言は国家の後ろ盾を得ているとみなされる。彼女の見方では、国家の介入がないということは、国家に裏打ちされていることと同義となる。 ジュディス・バトラー『触発する言葉』(竹村和子訳、岩波書店)p.114-115 Mari Matsuda の『Words that Wound』は翻訳されていない。が、それを

    愛ゆえのレイプ、愛国心ゆえのレイプ - HODGE'S PARROT
    Yuletide_joy
    Yuletide_joy 2010/02/13
    ”なぜ、「女性がレイプされるポルノ」と「同性愛関係におけるレイプ」を「擁護する場面」において、「表現の自由」以外の理由を設定する必要があるのか”
  • 彼女はそれを理解できない――川原泉現象には理由がある - umeten's blog

    川原泉作品のゲイフォビア*1とはおそらく彼女個人では対処不可能なものなのではないか。 そう、問題は川原泉個人ではなく、「川原泉的なるもの」であるように思える。 川原作品に顕著な恋愛や性に対する淡白さから、それらに類する問題に対する「関心の低さ」を読み取り、そして、その「興味がない」という心理状態を一概に「無自覚」「無関心」だと捉えるなら―― 確かに、問題となった表現は川原泉個人の自由意志に基づいた差別と偏見を意図的に振りまくフォビア(嫌悪)の表れであり、彼女を差別主義者だとみなせるだろう。 しかし、それがあるいは「無意識」の産物なのだとしたら、どうだろうか。 語弊を招かぬよう言葉を言い換えれば、「理解不可能」「認識不可能」。 「彼女はそれを理解できない」――のだとしたら、どうなるだろうか。 「興味がない」というのも、「意味や価値を理解できない」ということであって、何も意図的に「貶め」たり「

    彼女はそれを理解できない――川原泉現象には理由がある - umeten's blog
    Yuletide_joy
    Yuletide_joy 2010/02/13
    "ゲイフォビア的表現は、川原泉の良心――「偏執的理解に基づくあるがままの心」からつむぎだされたものだとしても、決して「良心的な作品」だと言えるものではない"
  • 1