戦前の日本では1880年(明治13年)に堕胎罪が規定され、母体の生命が危険な場合など一部の例外を除いて人工妊娠中絶が禁止された[6]。その後に1934年(昭和9年)には「民族優生法」案が議員提案され、1940年(昭和15年)、ナチス・ドイツの遺伝病子孫防止法をモデルに[7][8]政府提案により国民優生法が制定された[6]。国民優生法は「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加を防遏するとともに健全なる素質を有する者の増加を図り、もって国民素質の向上を期することを目的」とし[9]、優生思想の導入及び人工妊娠中絶と不妊手術に対する規制を図り、戦時下の人口増加政策を担うものであった[6]。 この法律の施行後の実態としては、「悪質の遺伝防止」よりも産めよ殖やせよに代表される「(日本国民の)人口増加」が最優先とされた[10]。 戦後、1948年(昭和23年)に優生保護法に改められた。優生保護法は、名