「贅沢」のスケールが「人間」としてのスケールに紐づいているのではないか。牛丼屋での味噌汁から豚汁への変更に贅沢を感じていたブログ『真顔日記』の上田啓太さんが、大人の階段を登るために、思い切って「屋形船ごはん」を体験してみました。 男の暮らしは牛丼屋とともにある。 先日、私は牛丼屋で食事をしていた。ふと思い付いて、味噌汁を豚汁に変更した。百円と少し追加すると変更できる。私は味噌汁も好きだが豚汁は大好きである。たまに贅沢気分でこの変更をする。 しかしその時に思った。いくらなんでも、贅沢のスケールが小さすぎるんじゃないか。たしかに味噌汁を豚汁に変えることはうれしい。だが、自分にとっての贅沢の代表がこれになっているのはどうなのか。豚汁変更を贅沢の代表として送り出すことができるのか。私はガハハと笑う豪傑な男にあこがれているのだが、これはとても豪傑とは言えない。 そういえば、コンビニで三百円前後のスイ
![「贅沢」のスケールが人間の器を決めるのではないか? 牛丼屋に通う男が「屋形船ごはん」を体験してみた|みんなでつくる!暮らしのマネーメディア みんなのマネ活](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9d987655cf049bfc90bd9455b24f863bd60ad41c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.rakuten-card.co.jp%2Fwoman%2Fassets%2Farticles%2F2019%2F05%2F30%2F01%2Fogp.jpg)