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教育と*あとで読むに関するa_suenamiのブックマーク (7)

  • 「主観恐怖症」の日本 - モジログ

    ニューズウィーク日版 - 政権交代でも思考停止の日メディア(2009年09月28日) http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2009/09/post-63.php <トイレを修理してもらうために呼んだ業者にこんなことを言われたら、どうだろう。「うーん。ちょっと待ってください。セカンドオピニオンを聞かないと」。さらに悪いことに、医者にこう言われたら?「おかしな病気ですね。医者を呼んできます!」> <8月30日の総選挙で民主党部に詰めていたとき、私の頭に浮かんだのはこんなバカげた光景だった。日のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」> <そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあん

  • “傲慢なのに打たれ弱い” 未熟でワガママな若手社員はなぜ増えたのか? | 「会社のワガママちゃん」対処法 | ダイヤモンド・オンライン

    1960年生まれ。1989年筑波大学大学院博士課程修了、精神科医、医学博士。東京都庁知事部局健康管理医、宇宙航空研究開発機構(JAXA)主任研究員、茨城県警察部健康管理医のほか、企業の精神科産業医として国内外で活躍。著書に「会社で心を病むということ」(新潮文庫)、「もし部下がうつになったら」(ディスカバー携書)など。 「会社のワガママちゃん」対処法 「傲慢なのに打たれ弱い」未熟なワガママ社員が増え、多くの管理職が振り回されている。しかし、対処法を間違えば、彼らは「うつ」になるケースも。彼らとどう付き合っていけばよいのか、その方法を紹介していく。 バックナンバー一覧 現代社会の未成熟化に伴い、職場でも性格が未熟でわがままな若い社員が増えています。彼らは、能力がないわけでもなく、むしろ積極的で活動的、華やかな場面が好きで、花見の席取りや宴会幹事などをさせると「デキル社員」です。しかし、いった

  • 修士論文の代わりに退学願を提出してきた

    退学って「お願い」するもんなんだと初めて知りました.というわけで,前々から 言っていた通りに,大学院に退学願を提出してきました.専攻ではすでに修士論文の提出も 発表も終わっているそうです.いつ行われたのかも知りません.とりあえず 4 月からはちゃんと就職して働きますのでご心配なく.日はやさしい国ですね. さて,ここで大学に対する恨みつらみを書いてもしょうがないので, これから(日の一般的な)大学・大学院を目指すという方に対して, これは考えておいた方がいいんじゃないかということを書き連ねておきます. 大学に入って 6 年しか経っていないし,学会にも行ったことのない人間の 戯れ言ですので聞き流しておいて下さい. **【さらに追記】**2 年ぶりになぜか注目されました Twitter が一般にも浸透したんだなぁと勝手に感慨にふけっています。@su319 さんが Toggeter にまとめて

    修士論文の代わりに退学願を提出してきた
    a_suenami
    a_suenami 2009/02/27
    ホント、大学って何のためにあるんだろうね?http://d.hatena.ne.jp/a_suenami/20090226/1235653332
  • 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

    このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころからを読むのが好きだった。絵も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいていだった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ

  • 入試「改革」のご提言について - 内田樹の研究室

    センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。 毎日新聞の社説子はこう書いている。 「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基的な教養の欠落も指摘されている。」 ご指摘の通りである。 そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。 そのわれわれに向かって論

  • 価値を正しく判断できるようになるために、勉強がある。 - GoTheDistance

    広く言えば、勉強することの意味はすべてここに帰結すると僕は思っている。 学生の頃の頭の良さ、端的に言えば受験勉強的に◎な頭の良さは、概念を吸収する力でしょう。つまり、何を言いたいのかを理解できる力。何が求められているのかを考える体力をつけるために、学生は勉強しなくてはならないと僕は思う。知的体力重要。知的体力というのが無いと、概念と概念がぶつかったときとか、自分が理解できない未知の領域がやってきたときに、考えることを放棄しちゃう。 こーゆーのは、僕が思うに「インプット」に即した頭の良さだと思う。 でも、インプットだけでは何も生まれないことを問われる時が来る。それが、社会に出るとき。 でも、実際に必要なのは、「なにをどう勉強すればいいか考える力」。その力がないと勉強ができなくなる。勉強ができなくなるから、だめになっていく。 学生のころ勉強ができた人が、社会人になってだめになってしまうのは、「

    価値を正しく判断できるようになるために、勉強がある。 - GoTheDistance
  • 「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを技術ブログ

    勉強って、ほとんど頭使わないよね。 人様に言われたことを、やればいいんだから。 あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。 親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。 勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということですよ。学生のときの勉強だけが勉強じゃない。 学生のころ勉強ができて、高学歴な人が、社会人になってぱっとしないということはあるかもしれない。その原因は明らかですよ。社会人になって勉強しなくなったから、だめになってしまったのです。 学生のときに必要な勉強と、社会人になってから必要な勉強は違う。それぞれの環境やステージによって必要とされる勉強は違うのです。 学生のころ勉強できたとしても、社会人になって勉強することを

    「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを技術ブログ
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