ブックマーク / blog.tinect.jp (5)

  • コーヒードリッパーを知らなかった四十代男が、火傷せずにコーヒーを淹れるまで

    ちょっと個人的に新鮮な体験が出来たので、それについての経緯と所感を書いてみたいと思います。 以前にも書いたことがありますが、「自分が何を知らないのか」を知るのはとても難しいことです。 なにしろそこには、知識を求める為の「とっかかり」というものがない。知識量ゼロの状態だと、「自分には何が分からないのか」が分かりません。 必然、人に聞こうにもwebで検索しようにも、そもそも「分からないことを解決しよう」という動機自体が発生しません。 「こういうものなんだろう」という自分の知識の範囲内に、人は簡単に安住してしまうのです。 我々は、基的には、「知っている」ことをスタート地点にして、そこから少しずつ手探りをするような形でしか知識を広げていくことが出来ません。 「知らない」を自発的に、一足飛びに解決する為には、壁を二、三枚超えなくてはいけないのです。 だからこそ、「知らない」をどんどん勝手に埋めてく

    コーヒードリッパーを知らなかった四十代男が、火傷せずにコーヒーを淹れるまで
    aaa_too_zzz
    aaa_too_zzz 2022/12/15
    コーヒーメーカーにもドリッパーにも触れたことがないけどコーヒーは好きというひとはそれなりにいるんだろうな
  • ラーメン二郎はラーメン界唯一のコース料理である

    ラーメン二郎というべ物がある。 ある日のラーメン二郎・三田店より 茹でたモヤシとキャベツ 刻んだ生ニンニク 分厚い豚 化学調味料たっぷりのスープと極太麺 もともとは1968年と日がまだそれほど豊かではない時代の頃、お金のない学生でも安くて腹いっぱいべられるようにという崇高な目的でつくられたそれは、飽時代の現代においても無性に人を引きつけてはやまない魔性のべ物として現代社会でも異様な存在感を放ち続けている。 実のところ野菜とラーメンの組み合わせ自体はそう珍しいものではない。 家庭のラーメンで「健康のために」とお母さんが子供たちを気遣って野菜炒めが乗っかったラーメンを作ることはそう珍しいものではないし、町中華においてもタンメンという名前で野菜×麺類の組み合わせは以前から普通に存在はしていた。 ちょっとマニアックなところだとサンマーメンのようなあんかけ野菜炒め×ラーメンという亜種も存

    ラーメン二郎はラーメン界唯一のコース料理である
    aaa_too_zzz
    aaa_too_zzz 2021/10/12
    そんなに体重に影響が?二郎あらあるいは?自分はラーメン屋に行くときは前後に計1時間以上のウォーキングかサイクリングを課している
  • 「会議でトンチンカンな発言をするベテランエンジニア」の、深い洞察。

    まだ駆け出しの頃に私が働いていた会社で、会議やミーティングで「開口一番見当違いのことを言う人」がいました。 その人のことを、仮にYさんと呼びます。 Yさんはベテランのエンジニアで、その時点で既に枯れていたある技術について、極めて深い知見を持った人でした。 一方新しい技術についてはそれ程知識がなく、ご自分でも「技術知識をアップデートするのが大変」というようなことをちょくちょくお話されていました。 気さくで良く笑う方で、若手にも気軽に話しかけられていました。 私も何回か缶コーヒーをおごってもらったことがあります。 Yさんを慕っている人も多い一方、「あの人距離が近すぎて苦手」という人もそこそこの数いた記憶があります。 人見知り多かったんですよ、その会社。パーソナルスペース激広の人がやたらたくさんいました。 で、当時の私には、Yさんについて一つ「不思議だなー」と思っていたことがありまして。 何かし

    「会議でトンチンカンな発言をするベテランエンジニア」の、深い洞察。
    aaa_too_zzz
    aaa_too_zzz 2020/04/20
    うろ覚えだけど、トランプ大統領を穏便な選択に導くために「これは明らかにダメだろ」というプランを混ぜて提示したら「わかった、暗殺するぞ!」となった話を思い出した(真偽不明、暗殺したのは本当)
  • アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」が死ぬほど面白いという話【GW推薦図書】

    ちょっと長文になりますが、海外SF小説の話をさせてください。 しんざきは数ある小説ジャンルの中でもSFを偏愛しておりまして、特にちょっと昔の海外SF小説が好きです。 作家で言うと、大好きなのがレイ・ブラッドベリ、オースン・スコット・カード、R・A・ラファティの3人でして、この3人の作品については(少なくとも邦訳されているものは)あらかた読んでいる筈です。いわゆる作家読みです。 ただ、そういう「大好きな作家」という枠組みとは別に、純粋に自分が面白いと思うSF小説を5作選べと言われれば、最低2冊が割込みで入ってきます。 一冊は、J・P・ホーガンの「星を継ぐもの」。私はこの作品を、およそ「古典SF小説」という枠組みの中では一、二を争う大傑作だと思っていまして、ちょうど去年の今ごろ、「星を継ぐもの」の紹介を書かせていただきました。この記事です。 SF小説「星を継ぐもの」が紛れもない史上最高傑作であ

    アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」が死ぬほど面白いという話【GW推薦図書】
  • 自分も、ろくでもないコンテンツを大量に見てきたのに、子供がそれを見ないわけがないよね。

    ちょっと、「子どもが触れるコンテンツに対する親の態度」というものについて、自分の考えを簡単にまとめてみたくなりました。 まず前提として、 「よほど偏っていない限り、視聴するコンテンツの違いによって、心配する程の影響が子どもに出ることはない」 「親が色々制御しようとしても、子どもはどうせ自力でコンテンツにたどり着く」 という二点は、ある程度一般的に言えるんじゃないかなあ、と思うんです。 そもそも皆さん、子どもの頃行儀良いコンテンツばっか見てました? NHK教育とか、子どもに優しい絵とか、児童文学とか、偉人の伝記とか、そういうのばっか読んでましたか? 勿論、中には厳しい家庭もあって、そういうコンテンツしか摂取させてもらえませんでした、綺麗な漫画しか読んでません、という人もいるかも知れません。 ただ、例えば私とか、あるいは私自身の周囲では、 「ろくなもの読んでねえ」 「ろくなもの見てねえ」

    自分も、ろくでもないコンテンツを大量に見てきたのに、子供がそれを見ないわけがないよね。
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