4年に一度、オリンピックと同じ年に開催されるパラリンピック。障害者スポーツの世界ではいま、義肢装具の発展が著しい。しなやかにたわむ炭素繊維製の「ブレード」と呼ばれる義足を付けた選手が、健常者の記録に肉薄し、時に追い越す事態も起きている。 だが、義肢装具を着けての記録を、健常者の記録と同等に扱うべきか否かをめぐり、いまも世界では議論がたえない。機械を装着した身体が生身の肉体の能力を超えるとき、どこまでが私たちの「からだ」なのか。身体の「拡張」はどんな問題をはらむのか――。
違ってたら言ってください。 なんか義足の陸上選手が健常者の記録を越えたんだけど、これどうすりゃいいの?って話があるらしい。そしてみんなが色々なことを思って言っているらしい。で、これマジョリティとマイノリティの問題と考える向きが一つあって、もう一つコンピューター将棋強くなりすぎ問題的な側面もあるんだなと思った。 もちろん健常者の側になんらかの差別感情があってその端々が口をついて露見してる部分ってのはきっと少なからずあってそれにはそれでちゃんと向き合って乗り越えていかなくてならんとは思うのだけど、技術の進歩が想定外にヤバくて人間の感情が追いつかなくてヤバいってのも世の常だなと思う。この話題で僕らが向き合わなくてはならない感情ってのは一つじゃなくて少なくとも二つあるんだということを確認したい。まあ実際にはそんな一つ二つとケチ臭いこと言わずもっとたくさんあるのだろうけど。 義足の選手が健常者には出
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