いや、自分では発音できるのだ。 全く自覚はなく、人に指摘されて始めて知った。 いつの間にか身につけていたらしい。 確かに「学校が、ダイッキライ」とかいうときの、最初の「が」と途中の「が」では、違う発音の仕方をしていた。 鼻をつまんでみると、最初の「が」は発声できるが。途中の「が」ははなから空気が抜けなくて変な感じになる。 で、自分で発音はできるのだが、人が鼻濁音を使っているのかどうかが、いまひとつ聞き分けられない。 世の中には「鼻濁音は美しい日本語なのに、なくなってしまうのは残念だ」とか「最近のアナウンサーは鼻濁音がろくに使えない」とか 言う人もいるらしいし、 声を使う職業を目指す人の中には、苦労して鼻濁音を訓練していたりもすると聞く。 実際、指摘してくれた人は「美しい」とかいってくれたのだが、なにせ自分が聞き分けられないので、価値が分からないし なんだか訓練してまで身に着けている人に申し