地下鉄構内の閉鎖された空間に浮遊する大気汚染物質PM2.5の問題について考える国内初のシンポジウムが横浜市で開かれ、専門家は「汚染実態の把握が必要だ」と指摘しました。 PM2.5は1000分の2.5ミリ以下の極めて小さい粒子のことで、吸い込み続けると健康への影響が指摘されています。 慶応大学のチームが去年、首都圏の地下鉄のホームで日中14時間の平均濃度を調査したところ、屋外の一日平均の基準のおよそ2.3倍に当たる濃度が観測されました。 車輪とレールの接触などで削れたとみられる金属系のPM2.5が多く発生していたということです。 調査した奥田知明准教授は「想像以上に高い濃度だったことに驚いたのを覚えている。日本では地下鉄の空気環境を誰が責任を持ち監視するか決まっておらず、海外と比べて対策が遅れている。省庁も横断的に連携し解決する必要がある」と対応を訴えました。
マイノリティの権利(もっとも、それは単なる権利ではなく人権ですので、以下ではマイノリティの権利=人権であるとして話を進めます。)について、マジョリティはしばしば「マイノリティは権利を認められたければ、多数の共感を得るべきだ」と言います。おそらく、この言説に共感するマジョリティは少なくないでしょう。しかし、私は、私自身がマジョリティではあるものの、この欺瞞に満ちた言説には共感できません。 いったい、いつになったらマジョリティはマイノリティに共感するというのでしょうか。おそらく、「マイノリティは権利を認められたければ、多数の共感を得るべきだ」などと言うマジョリティは、マイノリティがどれだけ誠実に訴えたとしても、あれやこれやと難癖をつけて、いつまでも共感しないでしょう。なぜなら、彼は自分の持っている権利をマイノリティが持っていないことで、自分が「(マイノリティが持っていない)権利を持つ価値のある
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