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ブックマーク / takasuka-toki.hatenablog.com (2)

  • 日本が貧しくなっていったら、僕たちは核家族を捨ててムラ社会の頃の共同体に戻るのかもしれない - 珈琲をゴクゴク呑むように

    これから書くことは相当悲観的に日の未来を予想したものだ。現実はもっとうまくいくかもしれないし、ひょっとしたら想像以上に悲惨な事になるかもしれない。 まあ戯言程度として付き合ってほしい。 家族という概念の変遷 核家族という概念がある。まあ簡単にいえばクレヨンしんちゃんの野原家を思い浮かべてもらえばいい。夫婦+子供だけの形、それが核家族。 この概念が比較的普遍的なものとなったのは日では1920年頃だとされている。その後経済成長や人口増大もあって、1960年代頃にはこのモデルがいわゆる普通の家族の形として定着していった。 核家族化が進んでいった理由としては色々考えられるだろうけど、一つにはこれが最もストレスなく過ごせる家族モデルだって事が考えられるだろう。サザエさんのような複数世帯が同居するような家族モデルは、嫁・姑問題のみならず様々な人間関係の嫌な部分が生じてくる。 例えばサザエさんではカ

    日本が貧しくなっていったら、僕たちは核家族を捨ててムラ社会の頃の共同体に戻るのかもしれない - 珈琲をゴクゴク呑むように
    ad2217
    ad2217 2016/05/22
    ムラ社会の奴隷に戻るより結婚しないで孤独死する方を選ぶでしょ。
  • 「恋愛工学徒やらヤリチンやら子育てコスパ論者の何が気持ち悪いのか」についての僕なりの結論 - 珈琲をゴクゴク呑むように

    前回のエントリーで僕は「人がよりよく生きていくには四つの居場所(家族・友人仕事趣味)と、そこからえられる社会的承認欲求が必要」だという事を述べた。 「居場所を作り出す供給サイドを大人、国や人から居場所を提供してもらうだけもらって自分では何も作り出さず恩恵を受けるだけ受けて文句をいう人を子供」だと定義した。 そして結論として、「僕たちは生まれたときは誰だって国や人から与えられる側である子供だけど、ある程度の恩恵を受けたら今度は居場所を作り出すサイドである大人になろう」という論旨を提示した。この観点を用いればいろんなことが読み解ける。 恋愛工学徒だろうがナンパ師だろうがマウンティング系婚活女子だろうがなんでもいいんだけど、こういった人達が何である種の人々に言いようのない不快感を与えるのかというと、ようは彼・彼女らがいい歳こいて需要サイドに居続ける事を宣言しているからである。 ヤリチンはセッ

    「恋愛工学徒やらヤリチンやら子育てコスパ論者の何が気持ち悪いのか」についての僕なりの結論 - 珈琲をゴクゴク呑むように
    ad2217
    ad2217 2015/09/16
    賃金前払いの年季奉公みたいな社会だな。
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