【冷害は過去のものでない】 昭和50年、収量は本県稲作史上最高の612kgと全国最高を記録しました。豊作の喜びもつかの間、翌51年は冷害でした。昭和30年代から20年近く冷害らしきものはなく、冷害は過去のものとまで言われていました。 続いて、昭和54、55、56年と相次いで冷害が襲いました。とくに、昭和55年の冷害被害は甚大でした。宮城との県境から吹走するヤマセによって、最上町の作況指数はわずか49、尾花沢市は77でした。ところが、ヤマセの影響が小さい余目町(現庄内町)の指数は107という豊作を記録しました。 それから14年後の平成5年、「平成の大冷害」が襲来します。山形県の作況指数は79、459kgの収量でした。青森県の作況指数は28、岩手県33、宮城県38で、太平洋岸の各県からみれば、被害は軽かったといえます。しかし、同じ山形県内であっても、最上町の収量はわずか27kg、全滅の状況でし