タグ

人生に関するadgtのブックマーク (16)

  • 岸本英夫『死を見つめる心』がスゴイ - 凹レンズログ

    オカルトチックにならず、宗教的・妄信的にならず、日常的な感覚でどうやって『死』を理解できるのか?ということが、ずっと疑問でした。スタンフォード大学客員教授であり宗教学が専門であった岸英夫は、ガンにより余命半年の可能性を告げられ「死」を見つめていきます。最も興味深いのは宗教学者であった著者が、「死後の世界」の存在を否定した上で死の淵に立つ選択をしたということです。エントリーでは、彼の『死を見つめる心』を紹介します。 岸英夫 - Wikipedia 死とは何か? 死は、突然にやってくる。思いがけない時にやってくる。いや、むしろ、死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、何もできていないからである。 1954年アメリカ滞在中に岸英夫は、首の左、あごの下にできたしこりを検査し

    岸本英夫『死を見つめる心』がスゴイ - 凹レンズログ
  • 堤幸彦の『自分の思い入れと情熱を目の前の仕事へこめる』ということ - 凹レンズログ

    今週のアシタスイッチ(対談番組)のゲストは映画監督の堤幸彦と女優の宮崎香蓮でした。その中の仕事への姿勢についての話が非常に面白かったので、紹介します。 hicbc.com:アシタスイッチ http://video.fc2.com/content/201207167W3heMnT 宮崎香蓮は、武井咲、剛力彩芽 、忽那汐里ら同世代の活躍に対する焦りや、高校進学で、上京するかを迷った経験、大学進学を選んだことが大人に影響されたのかもしれないという、自分への選択への疑念を語ります。そして、堤幸彦はコメントを残すのではなく、自分の体験を伝えていきます。 自分がないということ まず、特に話題になったのが宮崎香蓮の「自分が無いのではないか?」という疑念でした。 宮崎 この仕事をやっていて思い始めたんですけど、すごく人に流されやすいなって。映画とか見ても見終わったら、その主人公になりきっていたりするくらい

    堤幸彦の『自分の思い入れと情熱を目の前の仕事へこめる』ということ - 凹レンズログ
  • どんなビジネス書より「アルケミスト」を読むべき理由 - 凹レンズログ

    ブラジルの作家パウロ・コエーリョによって書かれた小説「アルケミスト」。最初に読んだのは、おそらく中学3年か高校1年の時でした。当時は、その物語に引き込まれて楽しんだ記憶がありましたが、30歳目前の今読み返してみると、自分が日々を歩んでいくことへの大きな示唆があります。「自分の価値観にそって行動することの意味」「恐れを抱きしめ、それでも進んでいく鍵」がテキストの中にあります。 パウロ・コエーリョ - Wikipedia The Alchemist (novel) - Wikipedia アルケミストとは 主人公であるスペインの羊飼いの少年サンチャゴは、ピラミッドにあるという宝物を探しに行くことを決意します。自分の羊を売り、全財産を盗まれ、命を危険にさらしながらも、彼は旅を続け、その道中で錬金術師(アルケミスト)に出会う。絶望や諦め、迷いを経験しても尚、彼は旅を続けていく。 書のタイトルは錬

    どんなビジネス書より「アルケミスト」を読むべき理由 - 凹レンズログ
  • 「心臓がとまるかもしれない」ということ - 凹レンズログ

    以前から、胸に痛みがはしることがあった。それは、頻繁ではなかったし、気にしすぎだろうと思って放っておいた。3日まえから、階段をのぼったり、手慰みをしたり、走ったりすると、胸が締めつけられるようになり、2日まえには長い時間、胸の圧迫感や重い感覚があり、首から上に血が上っているようだった。 以前、健康診断で高血圧が指摘されていたし、まさか虚血性心疾患じゃないよね・・・。と不安になってしまいました。 ‹•ŒŒ�«�SŽ¾Š³�i‚«‚傯‚‚¹‚¢‚µ‚ñ‚µ‚Á‚©‚ñ�j 【狭心症の症状】3分でわかる狭心症の症状|知るべき6つのポイント まぁ、病院には明日行って相談する予定なので、そこは良いのです。 頭の中で「まぁ、大丈夫だろう」と繰り返し自分に言い聞かせるんですが、そうすればするほど「もし、心臓がとまったら・・・」と、馬鹿馬鹿しいとは思うけれど拭いきれない心配が影を落としていくのです・

    「心臓がとまるかもしれない」ということ - 凹レンズログ
    adgt
    adgt 2012/05/28
    >id:Zarathustra1951-1967さん、仰るとおり心臓ばかりが問題とも限らないですね。コメントありがとうございます。
  • いとなみはすべて「死」のために - 凹レンズログ

    どんな死に方だって構わない。死んだら、それで終り。天国も地獄もない。それでいいじゃないか?自分がこの世界に存在していることは、それこそ天文学的な確率の上で成り立っているんだから、一瞬でも生命がやどり呼吸をできただけで十分。神なんて必要ない。人生は無価値で、同じように死も無価値だ。どうせ死ぬんだし、ぎゃーぎゃー言っても変わらない。 これが高校時代に死について悶々悶々とドライに捉えている振りをして、怯えて、怖いのにやめられずに大抵行き着くループの終着点でした。 それはもう小学校の頃から、夜に布団の中で死後の世界を想像しはじめると止められなくなって、「死って何だよ?」「無ってどういうこと?」「自分が消えてしまうって???」・・・と怖くなって、家族の顔を見に起きてちょっと安心するってな。死についての「あるある」を体験してきました。 歳をとってもうすぐ30歳の僕は、もうそんなに斜に構えたフリをして死

    いとなみはすべて「死」のために - 凹レンズログ
  • 「アイシテル」の言葉の意味を教えて - 凹レンズログ

    ちまたにありふれているのに、その実感を掴むことが難しい言葉。その最たるものが「愛」だといって良い。これまでの自分のスタンスは、そんな曖昧で無責任で、自己陶酔を感じる言葉はぜっっったいに使いたくない、ドライに淡々と生きていきたい、・・・と思ってました。けれど、ソロソロ逃げずに考えてみようと思ったのです。 「愛」の実態を知らないということ 「愛」「愛してる」「愛おしい」・・・ドラマや映画小説、世の中には愛という『ことば』が溢れています。一週間テレビをつけっぱなしにしておけば、必ず「愛」という名の言葉を耳にすることでしょう。 けれど、もし「愛とは何か?」という質問をされたとして、僕らは答えられる回答を持っているでしょうか?「愛」という名の言葉の意味を僕らはほとんどわかっていない。これだけありふれた名前なのに、その名前の主(あるじ)である実態の手触りはない。こんなに名と主にギャップのある組み合わ

    「アイシテル」の言葉の意味を教えて - 凹レンズログ
  • 過ちを犯しながら寄りそうために、何を話そうか - 凹レンズログ

    自分がこうしていたいというコミュニケーションのスローガンについて。 10代のころは、自分の感覚にそぐわない言葉を使う人が大嫌いだった。うるさく大声で思慮のない人々に辟易していた。自分の中にあるものを、そのままに扱いたいと思っていたから、言葉で自分の心情を吐露するなんてしなかったし、友人にもそれを求めなかった。音楽やらただ寒い帰り道、鮮やかな風景なんかにけっこう助けられていたと思う。 くちなしの丘のこの歌詞はそんな10代の自分が聞いたら凄く感銘を受けるんだろうと、YouTubeを流しながらふと考えた。 【歌詞】原田知世/くちなしの丘 言葉にしたら すぐに壊れて きっともう戻らないから 花の向こうに きみが見えたら 何を話そう 10代の自分から見れば、繊細でスマートな大人にはなれなかった。バタバタと日々におわれたり、打算的で、欲深いし、つまらないことで未だに傷ついたりする。 人との関係を築くこ

    過ちを犯しながら寄りそうために、何を話そうか - 凹レンズログ
  • 感情をねじまげる人間・・・なんて愛おしいんだろう - 凹レンズログ

    他の動物と比較して、人間の特徴を考えると、僕は感情をねじ曲げるところではないかと思います。嬉しい楽しいといった単純な感情だけでなくて、それを捻りに捻って複雑なコミュニケーションができている。 伊集院光が以前「十面鬼コーナー」の企画を発表していたときのトークを引用します。 自分が面白いと思うお笑いを考えたときに、どういう顔がとりたいかっていう。いったんオフクロが「買い物行ってくるからね」って行って買い物でかけて、パタンって音がしたから、「オフクロいない間に手淫をしよう」と思って手淫をし始めたら、何故かオフクロ行ってなくて「あのさ」って入ってくるときがあるじゃないですか、あのときの顔。あの顔をテレビカメラの前でしてもらいたいっていう風に思うんです。笑顔とか泣き顔とか驚いた顔、照れてる顔とかの、いろんな成分が微妙に入ってる顔がすきなんです。 ・・・ 年金暮らしのおばあちゃんの部屋に行って、仏壇の

    感情をねじまげる人間・・・なんて愛おしいんだろう - 凹レンズログ
  • どんな悲劇に埋もれた場所にでも 幸せの種はかならず植わっている - 凹レンズログ

    母の知人の息子さんが亡くなった。バイクで事故に遭ったそうだ。 僕は、母の知人も、その息子さんも知らない。 ほんの30分あまり前に顔を合わせた自分の家族が亡くなってしまう。 もう永遠に顔を合わすことが叶わない、その手に触れることができない。 「いるかな?」と思って、部屋に入ってもそこに彼がいることはもうない。 聞けば一瞬でわかる声も、もう聞けない。 声を想像することはできる。けれど、イメージに響く声が当に彼の声と一致してるかなんて確証はない。いちど疑ってしまうと、自分の中でその人の像が薄らいでいるのではないかと不安になって、もがいても掴める確たるものは自分の中に見つけられない。 髪の感触 肌に触れたときの温度 目の表情 背中の温かさとセーターの感触 こちらに気がついたときの顔 こういった自分の家族や、彼女、友人の実感を想像することは、今もできる。 けれど、それらは失われる。必ず。それだけは

    どんな悲劇に埋もれた場所にでも 幸せの種はかならず植わっている - 凹レンズログ
  • 『死の起源』に再び触れて - 凹レンズログ

    「人間はなぜ生まれ、生きてゆくのか」、という人間にとって初源的な問いに答えてくれるものは、あるのだろうか。それは、生き遂げた終焉としての「死」以外にはおそらくないだろう。だから、いまはここにないからといって忘れてはならないのが「死」なのである。死ほど私たちの今、現在を息吹かせてくれるものはないはずである。 年末に実家の棚を整理していると、懐かしい一冊のを見つけた。このを初めて手に取ったのは、たしか18歳の高校卒業が間近の頃だったと記憶している。 したり顔で斜に構えて、言葉だけの苦悩を抱えた気になっていた当時、田沼靖一の「死の起源 遺伝子からの問いかけ」と出会った。ビジュアル系バンドが売れたり自殺掲示板が問題になったりしていた時期だったと思うけれど、当時から陶酔感プンプンのカルト的な死は自分にはピンとこなかった。 死の起源 遺伝子からの問いかけ (朝日選書)posted with ヨメ

    『死の起源』に再び触れて - 凹レンズログ
  • ヤマアラシを抱きしめる準備はできたか? - 凹レンズログ

    一昔前にはやった言葉にヤマアラシのジレンマってものがあった 『ヤマアラシのジレンマ』とは「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話による。 ヤマアラシ - Wikipedia 要は、「寂しいから近づきたい、けど、相手を傷つけてしまうし自分も傷ついてしまう、だから近づけない」という理屈。エヴァンゲリヲンの中でも、登場していた。当時、思春期から青年期くらいの自分にとってはすごく都合のいい言葉だった。努力してもどうしようもない部分が人間関係にはあって、自分は努力しているんだけど、どうにもならないんだって。 血を流しながら抱擁を 確かにこの言葉は、ある意味で人間関係をうまくあらわしている。人類皆兄弟、だれでも分かり合える、なんてことは、2

    ヤマアラシを抱きしめる準備はできたか? - 凹レンズログ
  • 苦しみと喜びの両方を食べ続けるための音楽 - 凹レンズログ

    最近、思春期・青年期以来、死や人生について考えてみようとする時間が増えた。その中で思うことは、良いことばかり考えることや、悪いことばかり考えることは、どちらも生々しくない。物事には必ず良いことの芽も、悪いことの芽もついている。その片方しか見えなくなることが問題で、「葛藤」とか「モヤモヤ」をどうやって大切にするかということが生活するための知恵であるように思う。 ひとつの場所から定点観測するだけでは、決まった、固定化された姿しか見えなくなる。善し悪し両方、2つの顔を“さがす”ことで、僕らは自分の位置を変えるし、ものごとの予想もしなかった真実に触れることができる。そして、自分でも知らなかった自分の一面も知ることができる。 今僕が考える、命を燃やすための方法は、悪いことも良いことも両方味わおうと思ってさらりと行動し続けること。嫌なことや避けていたことに挑戦して、喜びをその中で探す。 歌は姿勢を、自

    苦しみと喜びの両方を食べ続けるための音楽 - 凹レンズログ
  • 手を触れただけで世界は変わる - 凹レンズログ

    自分の中でのライフハックブームは過ぎ去っていたんだけれど、最近歩みを進めるためのぼんやりとしたイメージが見えてきた気がするので、覚え書き。というか、このブログでのライフハックについての考え方の変化もちょっと振り替えって見ようと思います。 魔法の鍵を探して 「こういう考え方をすると上手くいく」 そういう答えが欲しかった。長いことそれを探し続けてきたように思います。たとえば、「成功するための7つの考え方」みたいなライフハック。最近で言えば以下のような記事です。 最高の自分を引き出す「自己催眠」のかけ方 9ステップ : earth in us. 「考え方を変えたら、人生が変わる」ことを証明する4つの実験結果 | ライフハッカー[日版] 比較的現在でも影響を受けているのは、金選手の「覚悟のすすめ」です。 意外と論理的な「覚悟のすすめ」 - 凹レンズ(旧館) このようなエントリーを見つけては、「

    手を触れただけで世界は変わる - 凹レンズログ
  • 凹レンズ(旧館)

    adgt 2008年11月25日 〜 2012年12月9日。ブログを引っ越しました。 http://www.ourenzu.com

    adgt
    adgt 2011/04/08
  • ネットを歩き、死をポケットに入れて - 凹レンズログ

    僕達は、昔と比べて死と距離が離れてしまった。 それは、現代人が死について知らないとか昔の人は知っていたとか、そういう話ではない。死について当に知るためには死ぬしかないのだから、ある意味、この世に存在している人は誰も死について知らない。ただ、僕達と死との“関わり方”が、以前とは変わってしまったのは確かだ。それが新たな死との向き合い方への模索なのか、遠く離れてしまっただけなのかは分からない。 今日は、ネットで読むことのできる、「実際の死」についてのリンクをいくつか紹介します。けれども、何か書き残しておきたい気持ちに駆られたので、少し前置きにお付き合いください。 死が隠れてしまった今 仏壇がある世帯はどのくらい減ったのだろう?日々の中で、亡くなった家族の遺影を見て、お香がたかれ、お鉢、花が供えられ、死者とコミュニケーションを図る家庭がどれくらいあるのだろうか?墓参りをする回数は変わったのだろう

    ネットを歩き、死をポケットに入れて - 凹レンズログ
  • 死をポケットにいれて on the Internet - 凹レンズログ

    エントリーは加筆修正をし、公開しなおしました。 ネットを歩き、死をポケットに入れて - 凹レンズ(旧館)

    死をポケットにいれて on the Internet - 凹レンズログ
  • 1