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2009年5月3日のブックマーク (5件)

  • おいお前ら大学にもぐりまくってきたぞwwwwwww : ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/05/02(土) 12:04:37.08 ID:nJbC5W5a0 有給消化しろ馬鹿って上司にしかられたので4月の後半にどばっと使いました で、その間暇だったのでいろんな大学の数学の授業を受けまくってきました。 たらたらとレビューを書いていこうと思う

    おいお前ら大学にもぐりまくってきたぞwwwwwww : ゴールデンタイムズ
    adsty
    adsty 2009/05/03
    数学の授業に限定したのが面白いなあ。
  • 高校の同窓会が荒れまくった時の話

    高校3年の文化祭で、出し物の都合でピアノ奏者が必要に。重要な役割なのでプレッシャーが高く、また練習のために放課後長時間拘束されるのを嫌がって誰もやりたがらなかったが、内向的だったピアノ未経験の女子生徒が立候補。彼女をバックアップするためにクラス一丸となって準備に奔走する。結局彼女は最後まで習得できなかったが、演奏可能なパートだけで曲を再編成するという力技でなんとか成功させる。という、まさに「青春の一ページ」的な話に花を咲かせていたわけだが、しかし事態は一変する。 それは、クラスではさほど社交的ではなかったとある男子生徒(同窓会には欠席)が、幼稚園時代からピアノの英才教育を受けて現在はプロとして海外で活躍中だということが、海外赴任から一時帰国したクラスメートによって報告されたことに端を発する。高校卒業直後にどこかのコンクールに参加し、そのままやたらと長い名前の欧州の楽団にスカウトされたとか何

    高校の同窓会が荒れまくった時の話
    adsty
    adsty 2009/05/03
    実はクラスの中に天才ピアニストがいたという話。まあ今更感はある。
  • asahi.com(朝日新聞社):清志郎さん死去 泉谷さん「オレは認めん」 悼む声次々 - 社会

    古くからの知り合いで、一緒にバンドを組んだミュージシャンの細野晴臣さんは「亡くなるなんて信じられない。早すぎる。お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。当に残念だ。なんて言ったらいいのかわからない」と言葉をつまらせた。     ◇  ビートたけしさん(62)は同日夜、TBSの生放送番組の出演中に悲報を知り、「がんもロックンロールだって言っていた」と硬い表情で語った。たけしさんらが漫才で注目され始めたころ、ともに出演したこともあったという。「デビューのころにRCサクセションに火がついてきた。ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった。前座で漫才をやったこともある。おいらがやっても相手にされなかった」と当時を懐かしんだ。     ◇  忌野清志郎さんは、FM802(大阪市北区)の今春のキャンペーンソング「Oh!RADIO」を作詞作曲したばかり。ヒット曲「トランジスタ・ラジオ」を持つ清志郎

    adsty
    adsty 2009/05/03
    泉谷さんらしい粋な言葉。
  • asahi.com(朝日新聞社):ロックシンガー 忌野清志郎さん死去 - おくやみ・訃報

    バンドRCサクセションやソロで活躍した日を代表するロックシンガーの忌野清志郎(いまわの・きよしろう、名栗原清志〈くりはら・きよし〉)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日正午、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主はの栗原景子さん。  51年東京都生まれ。70年にアコースティック編成のバンドRCサクセションでデビュー。その後、よりロック、R&B色を強くしたバンドとして生まれ変わり、「雨あがりの夜空に」「トランジスタラジオ」「スローバラード」などがヒットした。  ライブの名手として定評があり、髪の毛を逆立て、派手なメークをし、「愛しあってるかい?」などステージ上の決めゼリフも多く、後進のロックバンドに大きな影響を与えた。  反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」が、またパンク風に編曲した「君が代」を収録したアルバム「冬の十字架」がともに発売中止

    adsty
    adsty 2009/05/03
    日本を代表するロックシンガー・忌野清志郎、がん性リンパ管症のため死去(58歳)。
  • <訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、名・栗原清志)さんが2日、死去したことが分かった。58歳だった。 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、82年には坂龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒットし、日の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサート

    adsty
    adsty 2009/05/03
    私的にはRCよりタイマーズの活動の方が印象に残ってた。