2010年03月10日00:03 カテゴリ科学/文化 エコロジーという自民族中心主義 和歌山県のイルカ漁を撮影した映画"The Cove"がアカデミー賞を受賞した。私はその映画を見ていないが、受賞の言葉で「日本人はイルカを食うべきではない」などと語っているのを見ると、その政治的意図は明らかだ。この種の過激派は、グリーンピースやシーシェパードなどよくあるが、アカデミー賞を受けたとなると、その影響は無視できない。 イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であ
赤穂浪士の切腹を幕閣に上申したことで知られる儒学者・荻生徂徠は、一風変わった趣味をもっていた。煎り豆を齧りつつ、古今の英雄豪傑を罵るというものだ。風雅とはいえないが、毀誉褒貶ある英傑であれば、罵倒もひとつの嗜みになりえるだろう。 だが、悪口雑言の矛先が傑物とほど遠い小人であればどうか。辛辣な評に説得力を持たせるだけの芸がないと、ただの言いがかりと受け取られてしまう。 本書が直言する対象は、石原慎太郎である。フリージャーナリストの斎藤貴男とノンフィクション作家の吉田司が、対論によって、東京に君臨してきた「小皇帝」の軌跡を振り返り、「時代に求められた男」の賞味期限を査定する。 石原はデビュー作の『太陽の季節』で、勃起したペニスで障子を突き破ったシーンを描き、世間を瞠目させた。 吉田によれば、この小説は、湘南という悪場所の浜辺で「ガールハントにうろつく不良学生やアロハシャツにサングラスのごろつき
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