「あんたなあ、世間があんたのことどう言ってるか知ってるんか」。昭和58年の5月ごろ、上野動物園の病院長だった増井光子さんはパンダのメス、ホアンホアンに関西弁でこう話しかけた。人工授精で日本初の2世を誕生させようとしていたころだ。 ▼授精装置はできたものの、ホアンホアンがなかなか発情しない。豪快な人柄で知られた増井さんもさすがに焦った。「子供でも産んでみい。世間の評価は変わるよ」と「説教」までしてみた。産経新聞の『戦後史開封』が伝えるパンダ誕生の「秘話」である。 ▼何年か後、こんどは本紙「話の肖像画」の取材で増井さんに話をうかがった。脳軟化症で死んだゾウのインディラや、胃がんだったのにあまり苦しまなかったオランウータンなど、死因を調べただけで1万を超える。そんな動物たちの逸話は示唆に富むものばかりだった。 ▼中でもおもしろかったのは、治療を受ける動物の対応だ。同じチンパンジーでも注射のとき自