萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十三章 日本詩壇の現状 1、2」での自由詩についての考察を取り上げます。冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初めに朔太郎は、日本語による長篇韻文としての自由詩が生まれた軌跡を振り返ります。 「新体詩」からの模索を通して「七五調が破格を生み、単調のものが複雑になり、そして最後に、今日見る如き自由詩に到達した。」、そして次のように言い切ります。 「日本の詩の有り得べき形式は、この三つの者――和歌と、俳句と、自由詩と――の外にない。」。 そのうえで朔太郎は伝統詩歌でない、若者たちが求めた新しい形式である自由詩そのものの考察を進めます。 まず、「形式上の区別からみて、自由詩は明らかに散文に属しているのだ。」と大きな把握をしたうえで焦点を絞り