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高村光太郎に関するainoutanoehonのブックマーク (3)

  • 高村光太郎 胸中から迸り出る言葉

    の口語自由詩には伝統の積み重ねにより確立された形式面での詩学がありません。「日語の口語を基言語として書かれた言葉による作品」以上には共通の約束ごとはなく、詩を書く者それぞれが自ら「詩」と感じる方法、形式で作品を作っています。 それでも詩を読み詩を書こうとする者の間で暗黙に共有されている了解事項があり、学校の先生に教わらなくても、詩が好きな人は詩を読むことで自然に受け継ぎ身につけているのだと思います。 私は日語の詩について10代のとき、高村光太郎の詩を感じることで先ず学び、自ら書き始めました。(萩原朔太郎の日語の詩についての深い考察や他の詩人の詩論を考え、より意識化したのは20代からです。) 高村光太郎の詩についての考えは、とてもシンプルで、次のわかりやすく力強い言葉に尽きています。 「生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。」 以下に、光太

    高村光太郎 胸中から迸り出る言葉
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。高村光太郎 胸中から迸り出る言葉。
  • 高村光太郎「人類の泉」

    私は、高村光太郎と彼の詩、そして智恵子、『智恵子抄』がとても好きです。すでに数回私なりの思いを記しましたし著名でもあるので、今回は私が好きだというそのことをただ繰り返し私自身を励ますために、ここに咲いてください、とお願いしつつ書き記します。 『智恵子の半生』の光太郎の次の言葉には、創作の質についての真実があると私は感じ、深く共感せずにいられません。 『智恵子の半生』 「彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其を彼女と一緒に検討する事が此上もない喜であつた。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作つた木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫した。彼女の居ないこの世で誰が私の彫刻をそのやうに子供のやうにうけ入れてくれるであらうか。もう見せる人も居やしないといふ思が私を幾箇月間か悩ました。美に関する製作は公式の理念や、壮大な民

    高村光太郎「人類の泉」
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。高村光太郎「人類の泉」。
  • 高村光太郎「裸形」 愛(かな)しい詩歌 

    「詩を想う」に記した高村光太郎の詩「裸形」に咲いてもらいます。 『智恵子抄』の詩は10代の私が初めて当に好きになった詩で、ずっと好きな詩がたくさんあるけれど、今の私はこの詩にもっとも心を打たれます。 出典は『智恵子抄』(新潮文庫、2003年改版)です。 裸 形 智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。 つつましくて満ちてゐて 星宿のやうに森厳で 山脈のやうに波うつて いつでもうすいミストがかかり、 その造型の瑪瑙(めなう)質に 奥の知れないつやがあつた。 智恵子の裸形の背中の小さな黒子(ほくろ)まで わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、 今も記憶の歳月にみがかれた その全存在が明滅する。 わたくしの手でもう一度、 あの造型を生むことは 自然の定めた約束であり、 そのためにわたくしに肉類が与へられ、 そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、 米と小麦と牛酪(バター)とがゆるされる。 智恵子の裸形をこの

    高村光太郎「裸形」 愛(かな)しい詩歌 
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    高畑耕治の詩のエッセイ。好きな古典の詩歌。高村光太郎「裸形」。
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