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2012年9月30日のブックマーク (44件)

  • 生田春月の詩。生と死、魂の境界で。

    『日の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。 今回は、生田春月(いくたしゅんげつ、1892年~1930年)の詩を見つめ感じ考えます。 二十歳前後に私は彼の詩集を手元にもって読んでいました。彼は昭和五年に自殺しています。その頃私は生と死の境界線上にいたので、彼の言葉は死にひっぱる力として心に刺さりました。今回このに掲載された詩を読むと。今もまた私の心に響くものがあります。彼の詩「誤植」を紹介します。 誤植 生田春月 我が生涯はあはれなる夢、 我れは世界の頁(ページ)の上の一つの誤植なりき。 我れはいかに空(むな)しく世界の著者に その正誤(しやうご)をば求めけん。 されど誰か否(いな)と云ひ得ん、 この世界自らもまた あやまれる、無益なる書物なるを。 この作品を詩と感じるかどうかは、読者次第です。告

    生田春月の詩。生と死、魂の境界で。
  •  白鳥省吾、反戦の詩。言語表現と主題。

    『日の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年、解説・伊藤信吉)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。 今回は、白鳥省吾(しろとりせいご 1890年~1973年)、宮城県生まれの詩人です。この詩人の名は知っていましたが、作品はまだ読んだことがありませんでした。 伊藤信吉の解説によると、民衆詩派の一人と称された彼は、農民詩、戦争批判の詩を書いています。 「詩人・白鳥省吾を研究する会のホームページ」を今回見つけました、とても充実しています。 そのHP中の次の記事で彼の反戦詩の代表作といわれる詩「殺戮の殿堂」を読むことができ、戦争について考えさせられます。靖国神社の軍事博物館・遊就館を直視した優れた作品だと私は思います。 白鳥省吾物語 第二部会報十五号、二、民衆派誕生 大正七年、(二)「殺戮の殿堂」 このHPの記事にはまた、民衆詩派の口語自由詩が

     白鳥省吾、反戦の詩。言語表現と主題。
  • 中川一政の詩。かなし、いとし、いとほし。

    『日の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年、解説・伊藤信吉)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。 前回は武者小路実篤の詩と白樺派について書きましたが、そこでふれた有島武郎が推奨した詩人と出会いました。独学で油絵を学んだという画家でもある中川一政(1893年~1991年)です。 (インターネットで調べると記念館もある方なので、ご存知の方も多く、不勉強な私が知らなかっただけかもしれません)。 このに収録された彼の詩「貧しき母」や「黙つてゐる蝉」を読むと、武郎の共感が私にも伝わってきました。 「貧しき母」でこの詩人は、「かなし」「いとし」「いとほし」という言葉を繰り返します。これらの気持ちが入り乱れ交じり合ったこころを表す「愛(かな)し」という心の感動が、私の詩の通底音、泉の源です。 貧しき母 中川一政 人はなべてかなし さ夜ふけし夜のみ

    中川一政の詩。かなし、いとし、いとほし。
  • 武者小路実篤の詩「戦争はよくない」と、原発。

    今回からは、新体詩に続く時代に書かれた詩、近代の詩と詩人を『日の詩歌26 近代詩集』(1970年、中央公論社)を通してみつめ考えていきます。 こので最初に印象深く心に響いたのは、武者小路実篤でした。伊藤信吉の解説(以下同じ)によると、彼は1910年明治43年「白樺」を創刊。理想郷「新しき村」を宮崎県日向に1918年大正7年開設しています。 私は彼の小説を中学生のとき読んだ記憶があります。夏目漱石の『こころ』などとともに読書の入り口の時期に良く読まれるではないでしょうか。 白樺派はなぜか好きで親しみを感じ、志賀直哉の『暗夜行路』も良く分からないまま読んだこと自体に満足して、大山に登山したおりなど主人公に自分を重ね感慨深く感じた思い出があります。 青年期になり、小説家を目指し始めた頃は有島武郎に深い共鳴を感じほとんどの作品を読みました。 その後、私は、思集・詩想集ともいえる『死と生の交わ

    武者小路実篤の詩「戦争はよくない」と、原発。
  • 土井晩翠の詩「星と花」

    新体詩、近代詩の黎明期についての雑感を前回書き記しました。 書きもらしたことを、まず補記します。 ●雅語と古語 薄田泣菫と蒲原有明は、その詩に、雅語と古語(既に使われない死語)をちりばめています。泣菫自身が言っているように、日語による新体詩をより豊かにしよう、語彙を増やそうと意識しての開拓意思によります。 私は試みる意思に共感しますが、この挑戦は失敗だったと思います。 文語は口語と隔たっていますが、さらに文語でももちいない雅語と古語(死語)を取り込んだことで、口語からかけ離れた作品になってしまいました。声、息遣いを失ってしまったひとりよがりな言葉遊びです。 二人の詩が、とても読んで苦しいのはここに原因があります。現代詩の病弊と通じています。 言葉に対する理解が浅かったのではないでしょうか。詩語、詩句といっても、詩人がないものを創り出すものではありません。そこには驕りがあります。 私は古い

    土井晩翠の詩「星と花」
  • 『脱原発・自然エネルギー218人詩集』に参加しています

    『脱原発・自然エネルギー218人詩集』が、コールサック社から発売されました。 日語詩と英語詩を合にし、世界へ発信しようとする強い意思と願いが込められた詩集です。 私も参加しています。 ひとりの読者としても、感じとり、考えたいと思っています。 『脱原発・自然エネルギー218人詩集』(日語・英語_合体版) ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。 こだまのこだま 動画 ☆ こちらの屋さんは店頭に咲かせてくださっています。 八重洲ブックセンター店、丸善丸の内店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西

    『脱原発・自然エネルギー218人詩集』に参加しています
  • 新体詩をめぐる詩想

    今回は、新体詩、近代詩についての雑感です。 『日の詩歌2 土井晩翠、薄田泣菫、蒲原有明、三木露風』(1976年、中公文庫)を通読しましたが、正直なところ苦しい読書、勉強でした。感動した詩、とても好きな詩を見つけたら、そっと摘んで言葉を添えて咲かせようと思っていたのですが。今できること、読みながら、想い、考えたことを記録しようと思います。 この四人の詩に、素直に共感できなかった一番の理由は、文語で書かれているからだと思います。私には文語を読み理解する基礎能力がないためです。漢文の素養が欠けていることも影響していると感じます。 そうではあっても、集中に咲いている可憐な抒情小曲を見つけると、詩はかわらないなあ、好きだなと、立ち止まる憩う時間を見つけられたことは、嬉しく感じました。 以下は雑感を、浮かんだままに書き留めます。 1.時代と詩人 ① 明治30年代、1890年から1910年くらい、今か

    新体詩をめぐる詩想
  • 新しい詩「いま、ここで」をHP公開しました

    私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「いま、ここで」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。 詩「いま、ここで」 お読みくださると、とても嬉しく思います。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。 こだまのこだま 動画 ☆ こちらの屋さんは店頭に咲かせてくださっています。 八重洲ブックセンター店、丸善丸の内店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺

    新しい詩「いま、ここで」をHP公開しました
  • 大関松三郎の詩「虫けら」と、子どもの瞳

    前回に続き、『愛の詩歌集』(山太郎編著、1960年、社会思想社 現代教養文庫284)所収の明治時代、近代詩以降の詩を読んで感じたことを記します。 今回この期間の収録詩を読み返して、私の心にもっとも強く響いたのは、前回紹介した詩人・会田綱雄の詩「伝説」と、大関松三郎の詩「虫けら」でした。 このに記されている略歴によると大関松三郎(おおぜき・まつさぶろう)は、1933年(昭和8年)新潟県古志郡黒条村の小学校に入学、太平洋戦争に海軍志願兵として出征し南海で戦死しています。 私にこの詩人についての知識がないため、インターネット検索をすると、この詩が収録されている詩集『山芋』がウィキペディア記事にあり、次のように書かれています。 ● 以下、ウィキペディア記事『山芋』からの引用。 『山芋』(やまいも)は、教育者寒川道夫が、1932年から勤務していた新潟県古志郡黒条小学校の担任クラスで作っていた学級

    大関松三郎の詩「虫けら」と、子どもの瞳
  • 会田綱雄の詩「伝説」と、ねがい

    近代から現代の日語の詩のを少しずつ読み返しています。 『愛の詩歌集』(山太郎編著、1960年、社会思想社 現代教養文庫284)は若いとき古屋で見つけた文庫ですが、近視眼的ではなく、古代の記紀歌謡、万葉集、勅撰集から歌謡などまで豊かに盛り込まれて、どちらかというとそちらが好きで時折読み返していました。 このに収録された明治時代、近代詩以降の詩を読んで感じたことを、今回と次回に記します。 ひとつめに気づいて嬉しかったのは、私が二十歳くらいの時に、こので始めて知って感動した詩を改めて読み、再び感動できたことです。 多数のなかから詩人を選びその詩を編著者が一篇ずつ選んだなので、当然、良い詩人や良い詩でありながら採られていないもののほうが多いと私は考えていますが、それでも一篇でも心打たれる作品にめぐり合えたら、ひとつの機会を生かせたと思えるとても幸せなことではないでしょうか。 女性と

    会田綱雄の詩「伝説」と、ねがい
  • 新しい詩「短い、いのち、うた」をHP公開しました

    私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「短い、いのち、うた」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。 詩「短い、いのち、うた」 お読みくださると、とても嬉しく思います。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。 こだまのこだま 動画 ☆ こちらの屋さんは店頭に咲かせてくださっています。 八重洲ブックセンター店、丸善丸の内店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋店、紀伊国屋書店渋谷店、

    新しい詩「短い、いのち、うた」をHP公開しました
  • 人間味のにじむ作品。『訳詩集(二)』

    『日の詩歌28 訳詩集』(解説・鑑賞は河盛好蔵、安藤一郎、生野幸吉。1969年、中央公論社)を読み、西欧詩の翻訳と、明治以降の日の新体詩、文語定型詩、口語自由詩のかかわりについて考えています。 著名な翻訳詩やとても良い詩がいちめんに咲き乱れている野原を散策できたので、心に焼きついた詩を少しだけ紹介します。 まず、堀口大学訳詩集『海軟風] (1954年昭和29年)の収録作品から、アリエット・オドラ(1897‐1962)の詩を一篇。 私は今回読むまでこの詩人と詩を知りませんでしたが、もう一篇の詩「あたしたちは湖の……」とともに、とても良い詩だなと感じて好きになりました。 父もなく……  アリエット・オドラ 堀口大学訳 父もなく母もない小さなものたちよ、 あなた達はまるっきり孤児(みなしご)だとも言ひきれない、 たとへ地の上に、ひとりぼつちのやうに見えはしても。 口にこそは出さないが、ひとり

    人間味のにじむ作品。『訳詩集(二)』
  • 新体詩と翻訳詩。『訳詩集(一)』

    『日の詩歌28 訳詩集』(解説・鑑賞は河盛好蔵、安藤一郎、生野幸吉。1969年、中央公論社)を読み、西欧詩の翻訳と、明治以降の日の新体詩、文語定型詩、口語自由詩のかかわりについて考えています。 新体詩は1882年(明治15年)の「新体詩抄』を発端とするとされていますが、その前後にだされたキリスト教の讃美歌や、1889年(明治22年)の新声社同人(森鴎外他訳)『於母影(おもかげ)』の翻訳詩の響きと情感の清新さに、心をふるわせ新しい表現をさがして創作に駆り立てられた若い詩人たちが生み出していきました。まだ百数十年前のことです。 北村透谷が時代の先頭を駆け抜け時代です。(「愛しい詩歌 北村透谷の詩」クリックして読めます)。 たとえば『於母影(おもかげ)』所収のゲーテ『ミニヨンの歌』の各詩連末の微妙に変化するリフレイン、 其三(6、7行目) かのなつかしき山の道をしるやかなたへ 君と共にゆかま

    新体詩と翻訳詩。『訳詩集(一)』
  • 詩は花。門田照子『ローランサンの橋』

    詩人の門田照子さんが、とても心に響くエッセイ集『ローランサンの橋』を6月にコールサック社から出版されました。 幼年時代から現在まで生きていらした歩みを、その時々の心で、目線の高さで、細やかに綴っていらっしゃいます。少女時代の福岡大空襲の体験も、その時の少女のままの心で語られていらっしゃって、心打たれました。 私の両親と同じ世代の方ですので、父や母が生きてきた時、今と、どうしようもなく重なり、ああ、きっとこんなふうに感じていたんだ、こんな時代を生きてきたんだと、心深く感じられたことが、私にとってとても大切に思えます。 つぎに詩人として詩について、強く共感したことを二つ紹介します。 まず、詩人の岡部隆介さんを紹介されているエッセイです。少し引用させて頂きます。(同書「岡部隆介『摩笛』―抒情詩を生きた孤高の詩人」216頁から)。 (略)詩人は現代詩の潮流から離れ、自身の信ずる抒情詩を孤独に書き続

    詩は花。門田照子『ローランサンの橋』
  • こだまを見つけた。田川紀久雄詩集『いのちとの対話』(二)

    詩人の田川紀久雄さんが新しい詩集『いのちとの対話』(2012年8月、漉林書房、体2000円)を出版されました。この詩集に呼び起こされた私の詩想を前回記しました。 今回は、詩人の肉声そのものを聴き取りたいと願います。 すべてのの読み方は読者にゆだねられています。 私にとってこのは、一篇一篇の詩作品が24篇束ねられた詩集として読書するより、24の詩想の流れ、アフォリズム、想念の24の変奏曲として心で聴きとりたいだと感じます。同じ主題、旋律、叫び、問いかけが川面に浮かび沈み流れてゆきます。いのち、生、死、愛、他者の死をきらめかせながら。 私は一読者として、せせらぎを聴きとりたい、浮かび沈み流れ去る思いにこだましたいと、心の耳を澄ませます。この詩集から聴こえてきた、私の心に強くこだました田川さんの歌をここに響かせます。 読者の方ひとりひとりの心に響く言葉はちがいます、ちがってよいと私は考え

    こだまを見つけた。田川紀久雄詩集『いのちとの対話』(二)
  • 笑顔で流す涙。田川紀久雄詩集『いのちとの対話』(一)

    詩人の田川紀久雄さんが新しい詩集『いのちとの対話』(2012年8月、漉林書房、体2000円)を出版されました。この詩集に呼び起こされた私の詩想を記します。 詩集の表紙は画家でもある田川さんご自身の絵で飾られています。優しい筆遣いとぬくもりある色合いの、哀しい顔の絵です。この詩集そのもののように、微笑みながら泣いていて、美しいと感じます。 詩、という言葉に思い浮かべるものは人によって様々です。言葉により表現される詩と範囲を限定しても、どのような言葉の姿・形を詩と感じ考えるか、この問いにおそらく正解はありません。個性・感性によって違うのが自然で良いと私は思います。 田川さんの詩集『いのちと対話』は、言葉による表現としての詩の、ある意味で極北に位置します。 なぜなら、この詩集の言葉に、詩を感じとれない似非詩人たちも多くいるだろうと思える、ひとつしかない星のかがやきだからです。もちろん、私はこれ

    笑顔で流す涙。田川紀久雄詩集『いのちとの対話』(一)
  • 創作童謡。『日本歌唱集』(三)

    『日の詩歌 別巻 日歌唱集』(1974年、中公文庫)を読み、歌と詩について考えています。 このに収められた歌の対象期間は、江戸時代からの古謡を含め、1968年明治元年から1970年(昭和45年)くらいまでです。 このを読んで、私がいちばん楽しく懐かしく心ほがらかに感じた歌は、小学歌唱と童謡でした。 今回は大正元年(1912年)、約100年前の歌からみつめなおしてみます。 児童雑誌『赤い鳥』や『金の船』などが創刊されたこの時代に次々と発表された創作童謡は、いま歌詞を読み返してみても、とても魅力にみちてみます。子ども言葉を自然にとりいれ、子どもの目の高さで歌われていると思います。その良さが良く伝わってくる私の好きな童謡をまず引用します。 が鳴る   清水かつら 1919年大正8年 (1番) お手(てて)つないで 野道を行けば みんなかわい 小鳥になって 唄をうたえば が鳴る 晴れた

    創作童謡。『日本歌唱集』(三)
  • 戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)

    『日の詩歌 別巻 日歌唱集』(1974年、中公文庫)を読み、歌と詩について考えてきました。 前回は富国強兵のスローガンで明治政府が押し進めた戦争とその時代の歌を考えました。その後日は、日清戦争(1894年明治27年)、日露戦争(1904年明治37年)、第1次世界大戦(1914年大正3年~1918年)、第2次世界大戦(1937年昭和12年~1945年)と絶え間ない戦争の時代に突入しました。 戦争だらけの時代に多くの軍歌、軍隊歌謡が作られ、歌われました。歌詞を読んで深く考えさせられる歌から、今回は特に反戦の思い、戦争を厭(いと)う思いが響く歌を引用し考えます。 ラッパ節   伝添田唖蝉坊 1900年明治33年(歌詞3番、4番) 名誉名誉とおだてあげ 大切な伜(せがれ)をむざむざと 砲(つつ)の餌(えじき)に誰がした もとの伜にして返せ トコトットトットトットトット 子供の玩具(おもちゃ

    戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)
  • 田川紀久雄・坂井のぶこ7月14日(土)朗読会のお知らせ

    詩人の田川紀久雄さんと坂井のぶこさんが、朗読会を開かれます。 今回は私も参加させて頂き少し読ませて頂く予定です。 お近くでご関心をもっていただけましたら、お気軽にお立ち寄りください。 第6回いのちを語ろう 日時 2012年7月14日(土)開始14 時より。(開場13時45分)。 場所 東鶴堂ギャラリー(鶴見) 横浜市鶴見区鶴見中央4‐16‐2 田中ビル3F (JR・鶴見駅より徒歩5分、東急・鶴見駅より徒歩2分)。 料金 2000円 予約TEL044‐366‐4658詩語り倶楽部。 田川紀久雄詩集『いのちとの対話』より、田川紀久雄。 坂井のぶこ詩集『浜川崎から』より、坂井のぶこ。 ゲスト 高畑耕治詩集『こころうた こころ絵ほん』より、高畑耕治。 朗読をなさりたい方は、受付にてお申し出ください。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発

    田川紀久雄・坂井のぶこ7月14日(土)朗読会のお知らせ
  • 戦争と賛美歌。『日本歌唱集』(四)

    『日の詩歌 別巻 日歌唱集』(1974年、中公文庫)を読み、歌と詩について考えています。 前回までまず、わらべ歌、小学唱歌、童謡というとても楽しくなる歌をみつめましたが、これらの歌が生まれた時代について対照的にどうしても強く感じることがあります。ほとんど絶え間なく日戦争をしていたことです。(アメリカはその後も相変わらず戦争ばかりしていますが。) 幕末、明治維新(1868年明治元年)は内戦でした。さらに西南戦争(1877年明治10年)を経て富国強兵を掲げる明治政府は国家間の戦争へ突き進み、日清戦争(1894年明治27年)、日露戦争(1904年明治37年)、第1次世界大戦(1914年大正3年~1918年)、第2次世界大戦(1937年昭和12年~1945年)、戦争だらけです。 歌は時代を映し出し多くの軍歌、軍隊歌謡が作られ、歌われました。歌詞を読んで深く考えさせられる歌をまず、引用します

    戦争と賛美歌。『日本歌唱集』(四)
  • 小学唱歌と童謡。『日本歌唱集』(二)

    『日の詩歌 別巻 日歌唱集』(1974年、中公文庫)を読み、歌と詩について考えています。 このに収められた歌の対象期間は、江戸時代からの古謡を含め、1968年明治元年から1970年(昭和45年)くらいまでです。 このを読んで、私がいちばん楽しく懐かしく心ほがらかに感じた歌は、小学歌唱と童謡でした。 今回は明治末(1912年)頃までの歌、今からおおよそ200年から100年前までの歌をみつめなおしてみます。 最初に誰もが口ずさめる古謡、短い歌詞ですが、情景が色鮮やかに想いを染めてくれます。 さくら    日古謡 (1番) さくら さくら 野やまも里も 見わたすかぎり かすみか雲か 朝日ににおう さくら さくら 花ざかり もうひとつ、誰もがいちどは聞きながらまどろんだ歌。ねんねん、ねんね、不思議なぬくもりある響きです。 江戸子守唄   東京 (1番) ねんねんよい子だ ねんねしな 坊や

    小学唱歌と童謡。『日本歌唱集』(二)
  • 新しい詩「こころ花」連作8篇をHP公開しました。

    詩集『こころうた こころ絵ほん』を出版してから、新しい作品を生むのに少しが時間がかかり難産で完成に苦しみましたが、やっと、新しい詩を書きあげ、HP公開できました。こころはな咲きました。 ブログ「愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想」で記している想いの、作品としての結晶だと思っています。 詩を書かなければ詩人ではない、詩を生むのが詩人、あたありまえのことですね。 詩の花束「こころ花」(クリックでお読み頂けます)。 こころ花(こ) 飛んで こころ花(こ) ふるさとの こころ花(ろ) 山のこずえに こころ花(は) 空色の羽 こころ花(な) 今日は聞こえる こころ花(さ) まりも こころ花(い) 麦の歌 こころ花(た) 海と地と、空 お読みくださると、とても嬉しいです。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日、イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁

    新しい詩「こころ花」連作8篇をHP公開しました。
  • 歌と言葉の音楽。『日本歌唱集』(一)

    『日の詩歌 別巻 日歌唱集』(1974年、中公文庫)を読み、歌と詩について、考えました。 私は資質的に抒情詩人なので、言葉の歌、言葉の響きにとてもこだわりがあります。ですから音楽性に乏しい涸れた現代詩に批判的になりがちですが、詩、詩歌が好きだから詩の創作に生きています。 作詞家、作曲家、ミュージシャンを目指さず、詩人であることを選んだのは、詩、詩歌でこそ、私が表現したいことを創作し伝えられるからです。 『歌唱集』を読みながら、なつかしい歌を口ずさみ心がゆれました。やはり歌は心をゆたかにしてくれて、いいな、好きだなと感じました。 そのように感じ歌いながら、詩人として、歌(歌詞)と、詩(詩歌)のあいだにある、表現方法の違いを考えました。書き記してみます。 ◎歌(歌詞)と、詩(詩歌)の、表現方法の違い。 歌詞の言葉   ⇔   詩の言葉 ・曲の旋律(メロディー)が主。   ⇔   曲の旋律が

    歌と言葉の音楽。『日本歌唱集』(一)
  • 詩の形をさがし、詩の形で生まれる。

    この数日私は楽しい読書をしました。ドイツの詩についてのですが、詩の移り変わりを考察に、個性的な詩人たちの詩が織り交ぜられ引用されているので、詩が好きな私にとっては楽しい時間でした。 以前、海外の詩を一連のエッセイでみつめた際、ドイツ詩については次のように記しました。 「ドイツの定型詩と自由韻律。詩人・吉川千穂さんの論文。」(クリックでお読み頂けます)。 そのとき最後に読みたいと書いたです。『詩とリズム――ドイツ近代韻律論――』(ゲールハルト・シュトルツ/坂田正治 訳1978年、九州大学出版会)。 今回は、掘り下げた考察や原典の引用はせずに、私がこのを読みながら感じ思ったエッセンスだけ、 (自分のための覚え書きの意味合いもあって)書きとめておきます。 1.詩は、言葉の音、リズムによる芸術 ・ドイツの詩(西欧詩)は表音文字による表現だから、言葉の音、リズムを注視する度合いが強い。 ・アル

    詩の形をさがし、詩の形で生まれる。
  • アイヌ文学についての詩想とエッセイ 

    今、アイヌのふたりの女性、チカップ美恵子さんと伊賀ふでさんの詩集を読みとっています。 アイヌの世界観と文学を教えてくれた敬愛する方、アイヌ・ユーカラ、アイヌの文学者について、これまで私が書いたエッセイ・詩想を、ここでとりまとめておきます。 (今回は新しい記事執筆ではなく備忘・読み返しのための、過去執筆記事のリンク採録です。) 『アイヌ神謡集』序、知里幸惠(一) 知里幸惠(二)遺稿「日記」 知里幸惠(三)遺稿「手紙」 アイヌ神謡の優しさの豊かさ 口承文芸としてのアイヌ神謡 『アイヌ神謡集』2作品。知里幸惠 アイヌ神謡集』知里幸惠(四) アイヌ文学『若きウタリに』バチェラー八重子 アイヌ文学『コタン 違星北斗遺稿』 アイヌ文学『レラコラチ 森竹竹市遺稿集』 初めてご覧になられた方は、執筆中のエッセイと合わせてお読み頂けたら、嬉しく思います。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』

    アイヌ文学についての詩想とエッセイ 
  • 詩人・佐川亜紀さんが詩集『さようなら』を紹介くださいました

    詩人の佐川亜紀さんが、1995年の私の第5詩集『さようなら』の批評をHPに書いてくださいました。 詩誌・詩集のコーナー『高畑耕治詩集 さようなら』 紹介してくださった作品は詩「かずよちゃんのはっさく」。阪神淡路大震災の痛みから生まれた詩です。 選んで頂いた詩、書いて頂いた言葉を読んで、佐川さんがこの詩集に向き合ってお読みくださり、感じとっていただけたことが、複数の収録作品への簡潔な言葉を通して、とてもよくわかり心から励まされました。 佐川さんは日現代詩人会の理事や全国詩誌『詩と思想』の編集委員としてもご活躍されていらっしゃいますが、それ以上に何よりも、良い詩を書き続けていらっしゃる詩人です。私のHPでも作品を紹介させて頂いていますので、ぜひお読みください。 詩人・佐川亜紀さんの詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」 私も心に響く詩を生み続けたいと、強く願います。 ☆ お知らせ ☆ 『詩

    詩人・佐川亜紀さんが詩集『さようなら』を紹介くださいました
  • 詩と歌詞のこと。「紙風船」と「しゃぼんだま」

    詩人の中村不二夫さんの『現代詩展望Ⅶ』(2012、詩画工房)を読みました。この数年に出版された詩集、詩人を丁寧に読み解かれているので、出会いと発見があり嬉しく思います。 このを通して私が強く感じたのは詩人と詩作品を、ある時代のわずかな年月の流行や世相、世代や流派に無理やり押し込めて論じるのは、とても無理があって意味がないなという思いです。人との出会いと同じで、一冊一冊、個々の個性と感性がひかる表情豊かな言葉の息づかいを感じとるという、当たり前のことが、詩の喜びだと思います。 このに黒田三郎の詩「紙風船」が引用されていて、なつかしく読みました。彼は、戦後「荒地」に参加し思潮社から詩集をだしていますが、グループや出版社は詩にとってほとんど虚飾でしかないことを際立って教えてくれる詩人だと私は思います。 この詩が教科書にも載っていることをインターネットで知りましたが、好きな詩ですので、今回は紹

    詩と歌詞のこと。「紙風船」と「しゃぼんだま」
  • 牧瀬かおるさんの児童書に詩を想う

    今回は、児童文学作家・牧瀬かおるさんの2冊の児童書を読むことで心にひろがった詩想を記します。 牧瀬さんは、新しい『万華鏡の少女』をまもなく2012年7月23日にイーフェニックスからご出版される予定で、私も読むことを楽しみにしているひとりです。 牧瀬さんはお年寄りを訪ねるボランティア活動をされていらして、その際、私の『詩集こころうた こころ絵ほん』を皆さんに朗読してくださいました。とても嬉しく思います。以下でご紹介する二冊の著書からも、このお取り組みに通じる牧瀬さんの心のメッセージが聞こえてきます。 著者紹介によると牧瀬さんは、障がい児教育に、教諭、保育士として39年間勤務(支援学校、通園施設)されたご経験をお持ちだそうです。 今回ご紹介する二冊のにはKISAさんの優しいイラストがいろんなところに咲いていて、ハイキングのような爽やかな気持ちで読みました。 まず一冊目は『幸せを運ぶ腹話術人

    牧瀬かおるさんの児童書に詩を想う
  • 坂井のぶこ詩集『浜川崎から』。詩ってほんとはなんだろ?(七)

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、今回は詩人・坂井のぶこさんの詩集『浜川崎から』(2012年5月、漉林書房)を感じとりながら考えます。 この詩集は、詩ごとの題名はないので、詩集全体を言葉の花野原とみてもいいと思います。野原から私が好きな心に残る野の花を摘んで花飾りを編み「浜川崎から(抄)」としました。 ☆ リンク:詩「浜川崎から(抄)」 既に十冊以上の詩集を出版されている坂井さんの、この詩集の「あとがき」の言葉は、私の心にとても新鮮に響きました。引用します。 ☆ あとがき 「去年の一月ごろから一日一篇詩を書き始めました。日記をつけた最後に詩を書くという形でした。どうしてそういうことを始めたのか、考えてみてもはっきりした理由がわかりません。なんとなく成り行きでとしかいいようがないのです。 何の欲も目的もなく、書きたいことを書きたいように書いてきました。垂れ流しという言葉も頭

    坂井のぶこ詩集『浜川崎から』。詩ってほんとはなんだろ?(七)
  • 『こころうたこころ絵ほん』評。詩ってほんとはなんだろ?(八)

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、個性的な詩集の作品を通して考えてきました。今回は詩人の小川英晴さんが『詩と思想』2012年6月号の詩集評で、私の詩集『こころうた こころ絵ほん』を批評してくださいました。紹介させて頂くと同時に、私の詩想を確かめたいと思います。 ☆ 小川英晴さん批評 「愛の光に満たされた詩とでも言ったらいいだろうか。無垢な心が無防備なままに歌われている。それゆえ読んでいるとちょっと自分が恥ずかしくなる。私はこうはうたえないなという思いが浮かぶ。しかし、この世界を歌いあげることが高畑耕治の魅力なのだろう。現代詩というよりはどこか児童詩を感じさせる世界ではあるが、こういう詩もこの時代にあっていいと思う。ただし、酔いしれるだけではなく、もう一つ内省した切り口が欲しくなる。一行一行の切りつめ方も少々弱い。気持ちよく歌い過ぎてしまっているのだ。それに作品をもっと厳し

    『こころうたこころ絵ほん』評。詩ってほんとはなんだろ?(八)
  • 詩と詩の木魂

    前回紹介した崎恵さんの詩「息」、詩「ほたる」、詩「希い」と木魂しあう、私の詩をリンクして響かせます。 ☆ 私の詩の木魂 詩「おやすみなさい」。詩集『愛のうたの絵ほん』から。 詩「ほたる」。詩集『愛(かな)』から。 詩「ねがい」。詩想集『死と生の交わり』から。 次回は、坂井のぶこさんの詩集『浜川崎から』を聞きとります。 ☆ お知らせ ☆ 『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日、イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩のコラボをぜひご覧ください。 こだまのこだま 動画 ☆ 多こちらの多摩の屋さんは店頭に咲かせてくださっています。 リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書

    詩と詩の木魂
  • 崎本恵詩集『採人点景』詩って、ほんとはなんだろ?(六)

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、今回は詩人・崎恵(神谷恵)さんの詩集『採人点景(さいとてんけい)』(1995年11月、私家版)を感じとりながら考えます。 1.詩と詩の木魂 崎恵さんは私の新しい詩集『こころうた こころ絵ほん』に言葉を寄せてくださった敬愛する詩人・作家です。ページ数の関係から文章を要約して頂きましたが、当初の原稿全体を別途私のブログで紹介しています。 ☆リンク:崎恵の言葉。『こころうた こころ絵ほん』に寄せて。 この文章の中で、崎さんの詩「息」と、私の詩「おやすみなさい」との照応、響きあいについて書かれています。私もまた同じ思いですので、作品を木魂させたいと思います。 またこの詩集の他の収録作品の詩「ほたる」、詩「希い」についても、響きあう同じタイトルの作品を私も書いています。 知らないところでひとりひとりが、魂をみつめ、こころを込めて、創作した作

    崎本恵詩集『採人点景』詩って、ほんとはなんだろ?(六)
  • 田川紀久雄詩集『かなしいから』2詩ってほんとはなんだろ?五

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、詩人・田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』(2005年9月、漉林書房)を感じとりながら考えています。後半の今回は、詩を歌とするものについての私の詩想です。 ④ 言葉の音楽、歌であること。 私は、詩歌が言葉の歌だということを意識して創作します。古代歌謡、和歌、歌物語から、詩や短歌へと受け渡されてきた、日語の韻文学の旋律、調べを、息づかせようと、言葉の歌を紡ぎます。これらは詩人が創作するとき、言葉を選び、詩句、詩連を紡いでいるとき、意識的に、あるときは意識せずに、行なっていることです。 「現代詩」は、これらの詩を言葉の歌、美しい響きとする要素を、意識的に排除するか、見失い忘れてしまい、散文化しています。私はこれらこそ、中原中也も同じように記していますが、詩が歌であるために不可欠な要素、詩の魅力を生むものだと考えています。 詩集『かなしいから

    田川紀久雄詩集『かなしいから』2詩ってほんとはなんだろ?五
  • 田川紀久雄『かなしいから』1詩ってほんとはなんだろ?(四)

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について詩集を感じとりながら考えています。 今回と次回は、詩人・田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』(2005年9月、漉林書房)です。 田川さんは詩語り、詩の朗読を、1985年から現在まで全国各地で継続して行われてきた方です。詩の朗読、詩の言葉の音楽、言葉の歌について、作品の紹介を織り交ぜながら、私の詩想を記します。 (ホームページの「好きな詩・伝えたい花」でも3篇の詩をご紹介させて頂きました。 ☆リンク:詩人・田川紀久雄さんの詩。詩「なみだとにじ」「かなしいから」「ほっきこう」 田川さんが近年ご出版されてこられたご詩集を読ませて頂きました。ひとりの詩人のなかには複数の詩風が混在しています。心の広がりと深さです。ですから作品や詩集により、言葉の表れ方は異なってきます。 田川さんの豊かな詩風のうち、私はこの詩集『かなしいから』の花束にまとめられた詩の

    田川紀久雄『かなしいから』1詩ってほんとはなんだろ?(四)
  • 詩って、ほんとはなんだろ?(三)  言葉の音楽、言葉の歌。

    標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について詩集を感じとりながら考えていますが、次の詩集をとりあげるまえに今回は「現代詩人」荒川洋治による詩の朗読批判を批判します。 ① なぜ、批判するか ここで批判するのは、荒川洋治を代表選手とする時代の先頭で詩表現をしていると誤認識している、裸の王様のような、「現代詩人」と「現代詩」です。(文学を愛し古典に学び良い詩歌を創り伝えようとしている詩人の方々とその詩歌に対してではありません。) 荒川洋治の言葉が「現代詩」の貧しさを、マスコミ新聞上で晒しているだけなら私は通り過ぎますが、私の大好きな「詩」「詩歌」が誤解され貶められ嫌われかねない吹聴は黙殺できないからです。 私自身は朗読を積極的に行ってきた者ではありませんが、言葉の音楽が詩歌において何よりも質的で大切なものと考え創作してきました。 私は文字を黙読することとは別に、音読すること、朗読すること

    詩って、ほんとはなんだろ?(三)  言葉の音楽、言葉の歌。
  • 永方ゆか『ものさびしの、ハナ』詩って、ほんとはなんだろ?

    今回から、標題のテーマ「詩って、ほんとうはなんだろ?」について、4冊の詩集の作品を感じとりながら考えていきます。 最初にとりあげる詩集は、詩人・永方ゆか(ながえゆか)さんの『ものさびしの、ハナ』(2012年3月11日、土曜美術社出版販売)です。 発売日が私の新しい詩集『こころうた こころ絵ほん』と同じ日、東日大震災から一年目の鎮魂の日です。同じ思いで詩集をだされた詩人、私よりずっと若い詩人の存在を知りました。永方さんは詩集の売り上げは被災地に届けたいとの意思を持たれていらっしゃいます。被災地へのボランティアにも参加されたそうです。購入して読んでみました。 東日大震災のあと生まれ出た多くの詩について、現代詩人の荒川洋治が「詩の被災」だと批判しています。私は逆に、彼が書いてきたような「現代詩」のとても偏狭な嗜好に過ぎない視野にはとても収まらない、豊かな「詩」の世界全体を、彼があたかも俯瞰し

    永方ゆか『ものさびしの、ハナ』詩って、ほんとはなんだろ?
  • 詩って、ほんとはなんだろ? (一)

    少し間があいてしまいましたが、詩集を読み、考えていました。 今回から、私が詩心を感じ感動する、好きな詩、読み返したい詩、逆に、詩を感じない、読むのが苦しい現代詩について、私なりの詩想を記していきます。 初回は、私が詩を感じ感動する作品に必ず息づいている、詩の質、詩になくてはならない大切なものだと私が感じてきて、今もそう考えている事柄をメモします。これから、書きながらより丁寧に感じとり、詩想を深めていきたいと願います。 いわゆる現代詩、現代詩人を自称する作者の作品の多くは、これらのことがらを否定しひどいものは馬鹿にしているので、私はそこに詩を、文学としての魅力を感じることができません。詩界(というものが意味あるものならば)、そこでは、現代詩の愛好家が偏狭な詩観、特権を押しつけて、詩を貧しくしていると、私は感じてきました。正直に言うと、現代詩人どうしが与えあう仲間うちの賞の受賞作に、私が感動

    詩って、ほんとはなんだろ? (一)
  • 佐川亜紀の詩集『魂のダイバー』

    詩人・佐川亜紀さんの詩集『魂のダイバー』から、3篇の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。 (こちらからお読み頂けます↓) 佐川亜紀の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」 1993年に潮流出版社から出版されたご詩集です。詩友に借りて拝読して感動し、とても共感しました。 当の意味で良い詩は、十数年という年月では決して風化しないもの、世相を色濃く反映しながらも、決して一時的な流行には押し流されないものだということを、改めて思い、嬉しく感じました。 作者は「夢の二面性―あとがきとして」で次のように語ります。 「(略)戦争協力詩を書いた日の詩人達には、自分の戦争協力をはっきり認め、自己批判する姿勢はあまり見られなかった。現実の社会主義の崩壊に際して、革命運動の負性も含めて荷担したことを見つめないならば、戦争協力詩を書いた詩人と

    佐川亜紀の詩集『魂のダイバー』
  • 「母をおもふ」 高村光太郎の詩

    久しぶりに、好きな詩の紹介をします。 『高村光太郎全詩集』(新潮社、1966年)を古屋で入手して、分厚いので持ち出しては読めず、時間を見つけては読み進めていて、戦時の詩集についてもまた考え直してみたいと考えています。 今日紹介する詩「母におもうふ」は、これまで記憶していた詩ではなくて、今日読んでいていいなと、心に感じた詩です。確かめてみると、新潮文庫の『高村光太郎詩集』にも収録されていたので、私の心持ちのせいかもしれませんが。 1927年、光太郎45歳の時に書かれた、解説のいらない、彼の詩人としての個性の、詩心の良いところから響いてくる、好きだと感じる詩です。 詩は文学作品であり、調書でも告解でもないので、書かれている事柄が実際にあったことそのままか、幻か、虚構かが重要なのではないと私は考えています。 書かれている事柄や、記された気持ちや思いを、読む人が「これって、当だ、真実だ」と感じ

    「母をおもふ」 高村光太郎の詩
  • 2012福島県現代詩集(三)創作、感動の花

    『2012 福島県現代詩集 第33集 ―銀河の声 心の声 ふくしまの声―』 (福島県現代詩人会、2011年4月11日刊)。 この新しいアンソロジーを読み終えて、私が強く感じ、考えずにはいられなかったもうひとつのことは、こんなにどうしようもない状況のなかからでさえ美しい詩は生まれる、心の感動は伝えられるという、悲しい喜びです。 起こったこと、その深刻さに押しつぶされそうになるなかでも、詩人であることに徹して、ひとりの個性の書かずにはいられない思いからの創作こそが、詩人にできることだという信念が結晶化したような作品が生れていることです。 その現れ方は多様ですが、そこに共通して響いているのは「心の感動」です。作者の書かずにはいられない思いが、詩の花となり咲く姿は美しいです。 アンソロジーの編集後記にあるように、思いを詩のかたちの花束にするのが詩人です。この花束に耳を澄ますと、銀河の声、心の声、ふ

    2012福島県現代詩集(三)創作、感動の花
  • 2012福島県現代詩集(二)記録・証言としての詩

    『2012 福島県現代詩集 第33集 ―銀河の声 心の声 ふくしまの声―』 (福島県現代詩人会、2011年4月11日刊)。 この新しいアンソロジーを読み終えて、私が強く感じ、考えずにはいられなかったのは、記録し証言することと、詩との関係についてです。 起こったこと、その深刻さに押しつぶされそうになるなかで、言葉の書き手として、できることを、探し考えるとき、まず、何としても言葉で書き留め、伝えようとされた詩人の意思の踏ん張りが、結実した作品です。 アンソロジー全体のうちで私の心に強く響いた詩のうち、半数以上は、証言、記録としての詩、だと感じました。 その現れ方は、起きた事柄を時間軸で書く記した言葉から、起きた事柄を考察し考えなおす思索、感情、怒り、悲しみのむきだしの表現と、作者個人により、とても多様です。 そこに共通して響いているのは、詩人として生きる人としての「真実」を捉えよう、伝えようと

    2012福島県現代詩集(二)記録・証言としての詩
  • 2012福島県現代詩集(一)祈念碑

    福島の詩人の方々の新しいアンソロジーをご紹介します。 『2012 福島県現代詩集 第33集 ―銀河の声 心の声 ふくしまの声―』 (福島県現代詩人会、2011年4月11日刊)。 この詩集に込められた思いは、編集後記に、簡潔に記されています。 「(略)例年と違った意図を持って編まれてきたものです。それは、言うまでもなく、忘れることのできない昨年三月十一日に起きた東日大震災そして福島第一原発事故によって福島に居住する私たちの心身がズタズタにされた一年間、そしてあの日がまためぐってくること、そしてこの先の希望を窺い知れないこの時期に福島県現代詩人会として、なにをなすべきか、なにができるのか、という重い命題を背負ったことです。(略)私たち福島の詩人たちの真摯な声を祈念碑とすべく、その思いを詩のかたちの花束に編んで、尊い命を亡くされた方々の墓前に捧げたいと思います。(略)あの美しい福島の一日も早い

    2012福島県現代詩集(一)祈念碑
  • 文化を詩を育むということ(二)。詩人・宮城松隆

    詩と文化を育くまれた詩人を想う、2回目です。 沖縄の詩人・宮城松隆さんがお亡くなりになりました。 私のホームページで宮城さんの詩を三作品「沖縄戦と看守S」「避難」「グルクンの目」紹介させて頂いていますので、お読み頂けたら嬉しく思います。 沖縄戦の最中に生まれ、その時のひとびとと生死を、詩を通して伝える努力をされた方です。 そのご姿勢は、詩に対する態度にも貫かれていました。 前回ご紹介した村田正夫さん主催の潮流詩歌に参加されていらした時代に、私の詩集『愛のうたの絵ほん』の格的な批評を書いて発表してくださいました。私が同詩誌の会員ではないことと、私の詩風を村田さんはあまり認めてくださっていなかったこともあり、掲載に際してお二人の間で議論が厳しく生じたと後に伺いました。それでも無名の若者の詩集をとりあげ批評を掲載してくださったお二人に、今も感謝しています。 宮城さんは、自分の後ろで詩を書く世代

    文化を詩を育むということ(二)。詩人・宮城松隆
  • こころうた こころ絵ほん:文化を詩を育むということ(一)。詩人・村田正夫。

    しばらく風邪で休みましたので、今回は想うままに書きます。 人が亡くなるのは、とても悲しい。亡くなって、どうなるか、わからない、そこはもう信仰の世界です。 昨年から、身近な、大切な人が、続けて亡くなりました。震災で亡くなった方と同じように、とても悲しい。 心の優しい人、人を思いやる人、いい人は、早く死んでしまう、どうしてでしょうか。 詩人として書きます。 潮流出版社で、詩誌『潮流詩派』を、発行続けられ、多数の詩書を書かれた、村田正夫さんがお亡くなりになりました。独特の詩風をお持ちで、社会批評の鋭さとユーマモアを核にした、とても個性的なアクの強い作品を書かれた方です。だから作品に対しての評価は、読者により、大きく分かれると思います。 村田さんご自身も、確固とした詩観をお持ちだったので、たとえば私の作風は評価されませんでした。でも、言いたいのはここからです。 それでも、村田さんは詩集を初めて出し

    こころうた こころ絵ほん:文化を詩を育むということ(一)。詩人・村田正夫。