最新の軍事情勢や兵器に詳しく、湾岸戦争やイラク戦争、それに各国の軍事情勢など安全保障問題に関する解説で知られる軍事評論家の江畑謙介さんが10日、千葉県内の病院で亡くなりました。60歳でした。
こんなに悲しい日記を書くことになるとは、1年前には思いもしませんでした。11月8日9時54分、母が息を引き取りました。 ちょうど1年前、約1ヶ月の咳が続き、その後の検診で肺に影があることが分かり、専門病院へ。 年が明けた2007年1月、告知。肺がんの3a期と診断されました。 3月から入院、抗がん剤投与、放射線照射による治療が3ヶ月。その後、イレッサを飲み6月、がん細胞が消えたり縮小していることが分かり、希望を見いだしました。 しかし8月、肝臓と脳に転移。再び入院。再度の抗がん剤投与、放射線治療を行います。 10月に発熱、入院。退院するも薬の影響からなのか寝たり起きたりの日々。このまま寝たままになってしまう不安から、薬を調整してもらい、再び意識がはっきりと戻りました。 10月下旬からは、父と二人で付きっきりで看病をしました。特に父は仕事も辞め、炊事に洗濯、掃除を全てこなしていました。 意識は
吉田美和の最愛のパートナーである末田健監督が、2007年9月26日16時15分、胚細胞腫瘍で亡くなりました。 まだこの世に生を受けて33年しか経ってないのに、何かを急ぐように、次の世界に旅立ってしまいました。 ドリカムの20周年に向けて、末田監督にしか撮ることのできない吉田美和の長編ドキュメンタリーを作ろうと、あんなに張り切っていたのに、昨年末から着々と撮り進めていたのに、完成を見ることなく逝ってしまいました。 ドリカムワンダーランド2007の開始と前後して、容態が急変し緊急入院となりました。 ご両親や吉田の昼夜ない必死の看病のもと、末田監督は、強い意志と強靭な精神力で病気と闘いました。 吉田がこのような状況で国立競技場公演までやり通せたのも、「ドリカムワンダーランドの最終公演まで、どんなことがあってもステージをしっかり勤め上げる」という末田監督と吉田の約束があったからでした。 吉田も、末
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