ブックマーク / kiki-sh.hatenablog.com (7)

  • 消費者として考える、モノやサービスの価値とは① - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:消費者、モノやサービスの価値、エコキュート、マンションの施工 今年に入ってから消費者としてちょっとしたトラブルに遭い、モノとかサービスの価値について深く考えさせられました。少し長くなりそうなので数回に分け、経験とそれについて考えたことを記事にしたいと思います。 個人の忘備録として詳細に書くつもりなので、あまり興味がない方もいたら申し訳ないですが、もしかしたらどこかで誰かのお役に立てばいいなと願っております。 事の発端は昨年末から、実家の両親が「お湯の調子が悪い」と言い始めたことです。 7年ほど前に今後の生活の不便さを考えて長く住んでいた家を離れ、新築マンションに移り住んだ両親はもう80歳前後。ややこしい手続きは難しいらしく、よくヘルプの声が上がります。 今回は「給湯器が壊れた」ということで、普通に考えれば直せばいいというだけの話ですが、私たちの当初のその予測は見事に裏切られまし

    消費者として考える、モノやサービスの価値とは① - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
  • 未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える― - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:学校教育、学びの創造、社会生活、いかに学ぶか 40代半ばの私の子供時代、日経済はまだまだ活発で、高校生になる頃まではいわゆるバブル景気真っ只中でした。大量生産、大量消費経済の中で、物事の標準化や均質化にこそ価値が見出されていた時代です。今思えば、教育カリキュラムもいかに標準的、均質的な知識を身に付けられるかに重きが置かれていたように思えます。 それは学ぶ側の視点ではなく、教える側の視点ともいえるでしょう。子供たち一人ひとりに「何を学んでもらいたいか」より、先生が「何を教えるべきか」の方が明らかに先行しました。だからこそ「何のために勉強をするの?」は、子供の「質問あるある」だったように思えます。 そして、この状況は今も根的には変わっていないと思います。 確かに、教育カリキュラムの内容は少しずつ変わってきました。私たちの頃にはなかった生活科の新設、さらには自分で学び考える「生き

    未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える― - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2020/01/15
    私もそう思います
  • 一人ひとりの主体性が、持続可能な社会を作る - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:持続可能な社会、主体性、責任の所在、小さな成功 「持続可能な(sustainable) 」という言葉をよく耳にします。 私が初めてこの言葉を聞いたのは15年くらい前と記憶しています。当時在籍していた大学院の授業で、「持続可能な開発のための教育(ESD: Education for Sustainable Development)をテーマに学んだことがありました。それ以降、いろいろな場で出逢うこの「持続可能な」という言葉がとても気になるようになりました。 実際に国連や関連機関からこの言葉が発信されたのはもっとずっと前なのですが、社会の中で関心を集め、より意味のある言葉として定着してからはそれほど長くないのではないかと感じるのです。 言葉というのは生き物です。太古の昔から人々の生活とは無縁に存在するわけではなく、ある社会環境の中で生み出され、人々に使われることによってその意味を確立

    一人ひとりの主体性が、持続可能な社会を作る - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2020/01/06
    日本でも警察が介入して精神科受診をしてもらう事がありますがスムーズには行かないみたいですね
  • 未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:未来、行動の目標、不確実な状況、中村哲医師の活動、変化 ブログを始めて半年経ちましたのでふと振り返ってみました。(記事数を見ると「とほほ」ですはありますが) 【老後「2000万円」問題に取り組む前に、まずは自分探しから】というタイトルで書いたのが最初の記事でした。当初は長い記事ではなくサラっと書いてたんだな、と改めて思い返しています。 金融庁の「老後は2000万円必要」という発表が大きく問題視されるのを見て、真っ先に記事に書いたようなことが思い浮かんだことを覚えています。誰が何と言おうと所詮は不確実な未来、にもかかわらずどうしてここまで私たちの心をこんなにもとらえるのだろう、と。 この問題が私たちに提示したことの一つは、見えない不安が良い意味でも悪い意味でも私たちを突き動かすパワーを持っていることだったように思えます。 だからこそ、最初のこの記事で一番言いたかったことは、 まだ

    未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2019/12/09
    おそらく宗教的な所があると思いますが… 教えを履き違えてると思います 今回は残念でなりません
  • 「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由 - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:自分らしさ、自分探し、当の自分、問い、気付き このブログの中で「自分らしさ」や「自分探し」は重要なカテゴリーであり、中心となるテーマです。でもネット上でいろいろ見ていると、嫌われることも多々ある言葉です。 日々の生活の中で我慢し、押し込めている「当の自分」を見つけよう、という考え方に違和感を感じる―「当の自分」って何?そもそもそんなもの自分でわかるはずないし、わかる必要があるの?と感じられることがその理由の中心にあるようです。 ごもっともだと思います。 「当の自分」というある種の決定論的な答えが「自分らしさ」であり、その答えを見つけることが「自分探し」ととらえるなら、私もおそらく馴染めないでしょう。 私は以前、「”私が誰か”は私だけでは決められない」という記事の中で、こんなことを書きました。 「自分探し」は、 自分の心の中を必死に覗こうとすることではなく、他の人との関わ

    「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由 - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2019/11/09
    今一度自分に問いかけてみます
  • 創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう― - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:悪魔の代弁者、意外性、創造性、判断留保 ブログを書いていてスターやブックマーク、励みになるコメントを頂き、継続のモチベーションを各段に上げてくださる皆さまには、いつも当に感謝しております。 そして時々、「そこきますか!?」と思えるような視点からのコメントを頂くことがあり、驚きとともに考えを掘り下げる良い機会をもらっています。 「書くことも読むことも対話だ」という記事を以前書きましたが、こういう意外性はやはりコメントのような直接のやり取りの中で起こるように思えます。 ところで、この意外性を意図的に生み出すことで創造性を広げるという手段があるのを、ご存じでしょうか。 「悪魔の代弁者」(devil's advocate)といわれるものです。 この言葉は、カトリック教で故人を聖人として認めるか否かの審議において、指名される役割からきています。「悪魔の代弁者」に指名された人はあえて故人

    創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう― - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2019/11/02
    客観的にみるのも大事ですね
  • 自分自身のことも問い直さなければならない - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

    今日の材料:自分を問う、信頼関係、諦め、学び 以前の記事で、常識を問うことの必要性を書きました。でもそれは、自分自身を問い直すということでもあると思います。 自分の話をすれば、私は元来ルールが好きな人間でした。決められた通りに行動し、常に確実でいることで精神の安定を保っているところがあったのです。でもある人との出会いで、そのことを問い直す必要性を強く感じさせられました。 ルールに厳密な指導者 その人は私の指導者という立場で、非常にルールに厳密な人でした。例えばある日、その人の都合で指導時間が通常の2/3程度になってしまい、残りの時間をどうしようか、と悩んでいたことがありました。私はわざわざ別の時間を設定してもらうのは申し訳ないと思い、こう言いました。 「ある程度まとまった内容でご指導頂けたので、私はこれで大丈夫ですよ。」 私が授業料をお支払いしていたので、気遣いのつもりでした。でも、思いも

    自分自身のことも問い直さなければならない - 「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ
    ajinoosushi
    ajinoosushi 2019/10/25
    そうですね経験がないと自信がつきません 自分の主張を通せる努力 素晴らしいと思います
  • 1