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ブックマーク / number.bunshun.jp (6)

  • ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?(鷲田康)

    阪神タイガースが球団史上初めて日一の栄冠を手にした1985年。それから30年を経た今も、あのシーズンを改めて振り返ったノンフィクションは、意外なことに存在しなかった。球団創設80周年を迎えた今年、吉田義男監督、主力選手からウグイス嬢にまで取材した『1985 猛虎がひとつになった年』(鷲田康・著)が9月17日に発売される。出版を記念して、には盛り込めなかった話をウェブの短期集中連載でご紹介しよう。第1回目は、あのランディ・バースのインタビュー<前編>だ。 ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に代打・川藤幸三……。いまテレビで流れるNTTドコモのCMではないが、阪神球団史上ただ1度の日一に輝いた1985年のシーズンを象徴するのは、史上最強とも言われたこのクリーンアップトリオだった。 その核となったのが最強の助っ人、ランディ・バース。不動の3番打者として、この年54塁打、打率3割5分、1

    ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?(鷲田康)
  • 出場試合ゼロの津商“レギュラー”。甲子園で勝つための仕事は無限に。(中村計)

    企業の人事担当者からすれば、喉から手が出るほど欲しい人材ではないか。 津商(三重)には、地方大会から通じて出場試合ゼロの「レギュラー」が2人いる。背番号13の一塁コーチャー・東将司と、背番号16の三塁コーチャー・上嶋悠斗だ。 彼ら2人の動きを目で追っていると、飽きることがない。攻撃イニングが始まると、まるでゲートアウトした競走馬のように、勢いよくベンチを飛び出す。 コーチャーズボックスに辿り着くと、まずは土を足で丁寧にならし、スパイクで3のラインを引く。その姿は、まるで神聖な儀式のようにさえ映る。 3のラインは、もともとは三塁コーチャーである上嶋のアイディアだった。1目は三塁ベースと垂直に引く。そのラインと平行に足された2のラインは、三塁走者が出た場合の第1リードと第2リードの位置を示している。そうして走者がどれだけリードしているかひと目で判断できるようにしているのだ。 東もそれを

    出場試合ゼロの津商“レギュラー”。甲子園で勝つための仕事は無限に。(中村計)
  • 日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)

    「世界がどんどん走るサッカーをしているのに、南アフリカW杯以降、日ではポゼッションという言葉が流行ってしまった」 杉龍勇(岡崎慎司の専属フィジカルコーチ) 日サッカーには何かが足りない――。ブラジルW杯における日本代表の惨敗を見て、多くの人がそう感じたのではないだろうか。 技術水準が上がり、経験も積んで、戦術の引き出しも増えた。なのにW杯で1勝もできなかった。メキシコ人のアギーレが来ても、ボスニア・ヘルツェゴビナ人のハリルホジッチが来ても停滞感が漂い続けているのは、重要な何かが欠けているからに違いない。 そんなことを考えているとき、答えのひとつを示す人物に出会った。 フィジカルコーチの杉龍勇(法政大学教授)だ。 陸上選手だった杉はベルリン留学を経て、清水エスパルスのフィジカルコーチなどを歴任し、2012年から岡崎慎司の専属コーチを務めている。ブラジルW杯前には吉田麻也の指導も行

    日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)
  • 今、サッカー界で話題の“中西塾”。指先から眼球に及ぶ、異例の指導法。(木崎伸也)

    「シュートを打つとき、銃の引き金を引く直前の手の形にすると、 より正確に蹴ることができます」 中西哲生(スポーツジャーナリスト、元プロサッカー選手) 今、秘かにサッカー選手の間で話題になっている指導法がある。 その発案者は中西哲生。名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)と川崎フロンターレでプレーした元Jリーガーだ。 中西と言えば、TVやラジオで活躍するコメンテーターとして知られているが、その一方でサッカー技術を独自に研究する指導者としての顔がある。そして骨格・筋肉・神経・内臓・呼吸・血流・脳という視点から、オリジナルの指導法に行き着いた。 日本代表を含む10人ほどの選手が集う“中西塾”。 中西塾、とでも言おうか。 現在、男女含めて、約10人の選手を教えている。その中には日本代表もいる。 選手がオフで帰国したときに直接指導することもあれば、動画を送ってもらって国際電話でアドバイスす

    今、サッカー界で話題の“中西塾”。指先から眼球に及ぶ、異例の指導法。(木崎伸也)
  • ミランの一流選手が心から信頼する、遠藤友則トレーナーの「整える」技術。(木崎伸也)

    選手の体を直接触る「トレーナー」や「マッサー」は、大きな責任を負う職業だ。もし選手のケガを悪化させたら、「おまえのせいだ」と追及される可能性がある。ましてや言葉が通じない外国の、それも名門クラブとなれば、少しのミスも許されない。 ACミランの遠藤友則トレーナーは、しみじみと昔を振り返った。 遠藤がイタリアにやって来たのは15年前のことだ。清水エスパルスで働いていたが、清水でプレーしたマッサーロの紹介で名門に潜り込むことに成功した。 「とにかく最初はみんなが嫌がる雑用を必死にやりました。次第に僕にも選手がまわってくるようになったけれども、優秀とされるトレーナーたちに看てもらって、それでも治らなかったので、最後は東洋のマジックに期待してということでした。悪くなったら私の責任。でも治れば勲章ものでした」 東洋医学的な「バランスを整える」治療。 選手が悪化すれば即刻クビである。そこで遠藤は発想を転

    ミランの一流選手が心から信頼する、遠藤友則トレーナーの「整える」技術。(木崎伸也)
  • 実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)

    退任の記者会見にて「中日以外のチームから監督のオファーがあればどうしますか」との質問に対し、「話があれば聞く」と答えた落合博満氏。「初老の男性に戻った。映画館の右の後ろで女房と映画を観たり、温泉にでも行きたいと思います」というコメントも残している 非常に楽になりました。監督という肩書は結構重たい。それを外して、普通の57歳か58歳の初老の男性に戻ったということじゃないでしょうか――。 11月22日。中日ドラゴンズ・落合博満監督の退任会見が名古屋市内で行われた。キャンディーズの解散会見、いや、10月31日にあった橋下大阪府知事の「普通の42歳に戻りたい」発言に続く、異能者たちだけに許された「普通の○○に戻る」発言は、落合博満がドラゴンズ監督としての重責を全うしたことを告げる最後の言葉となった。 思えば監督就任となった'03年10月8日の会見での、「どういうタイプの監督になるかは誰にもあてはま

    実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)
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