部員がボールを買うためアルバイト 豊見城時代の話をすれば、栽監督がうちにぜひと声をかけた中学生のひとり、それが赤嶺賢勇投手(のちに巨人入り)だった。興南などいくつかのチームからも誘いを受けていたが、無名の高校ながら栽監督の緻密な野球を学びたいと豊見城を選んだという。 余談ながら、偶然にも赤嶺投手が生まれたのが、首里高の甲子園出場の年だった。大きな期待を背負っての入部だったと思われるが、練習初日のエピソードがいかにも沖縄らしい。赤嶺投手からのちに聞いた話だが、合格発表前に呼び出され、練習着を持ってグラウンドに行くと先輩から手渡されたのが柔道着。それに着替えて行けと指示された先が、サトウキビ畑だった。 その理由は明白。豊見城は県立高校だ。部費など十分にあるわけがなく、ボールやバットを買うためにここでサトウキビを刈るアルバイトをさせられたのだ。柔道着を着せられたのは、サトウキビについている小さな