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被服廠に関するakakiTysqeのブックマーク (3)

  • 火災旋風の生存者手記発見 関東大震災、3万8千人犠牲 | 共同通信

    Published 2023/07/23 21:17 (JST) Updated 2023/07/23 21:33 (JST) 1923(大正12)年の関東大震災で、地震後に空き地に避難した約3万8千人が火災やそれに伴う旋風などで死亡した、陸軍被服廠跡(東京都墨田区)を生き延びた男性の手記4冊が23日までに見つかった。一部の内容は要約されて発表済みだが、肉筆の原の存在は知られていなかった。死者10万人超だった震災で、最悪の被害をもたらしたのは「火災旋風」と呼ばれる発生条件が未解明の現象。大都市の木造住宅密集地に囲まれた広場などで、今後も起きる危険性は否定できない。将来の巨大地震への備えとして、100年前の体験から多くの教訓が得られそうだ。 男性は、陸軍の軍服工場「被服廠」の跡地の前に住んでいた山岡清真さん(03~81年)。 72年に書いたとされる手記は震災当日の23年9月1日、避難した被

    火災旋風の生存者手記発見 関東大震災、3万8千人犠牲 | 共同通信
  • スニーズ・コメンツ #22 - s k n y s - s y n k s

    私が少年時代を送った昭和十年代の前半は、関東大震災(大正十二年)からせいぜい十数年後の時代であった。昭和二十年の敗戦から現在までに、すでに三十数年の長年月がたっていることを考えると、この近さは意外である。つくづく昭和は長いと思う。/ せいぜい十数年前の近い過去のことだったから、当時のおとなたちは、なにかといえば関東大震災の恐怖の思い出を私たち子どもに語って聞かせたものであった。所被服廠の大惨事は、かくて私たちの耳に親しいものとなっていた。ヒフクショウという言葉が、なにか私にはハショウフウ(破傷風)と似ているような、まがまがしい響きをもった言葉に聞こえたものである。/ そのころ、滝野川の私の家の隣りに、時事新報の写真部につとめていた井谷さんというひとが住んでいて、私はその井谷さんの家で、公表されていない関東大震災の悲惨な写真を見せられ、そのすさまじさに息をのんだのをおぼえている。それは、折

    スニーズ・コメンツ #22 - s k n y s - s y n k s
  • 京アニ放火、30秒後には危機的状況に 京大防災研が煙の流動シミュレーション - ITmedia NEWS

    アニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオで起きた放火殺人事件で、出火から30秒後には煙が建物内に拡散していたとみられることが、京都大防災研究所の西野智研准教授による数値シミュレーションで分かった。 京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(京アニ、社・京都府宇治市)の第1スタジオで起きた放火殺人事件で、出火から30秒後には煙が建物内に拡散していたとみられることが5日、京都大防災研究所の西野智研准教授(建築火災安全工学)による数値シミュレーションで分かった。建物内にいた人はその時点で危機的状況になっていた可能性があるといい、西野准教授は「今後は火災発生から早期に外に退避できるような設計が重要になる」と話している。 西野准教授は事件後、現場で建物の焼損状況を確認した上で、数値シミュレーションで煙の流動を分析。スタジオ内の1階らせん階段付近でガソリンが燃やされたという想定で

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