アートは一見無力にみえるけれども、そしてこの世の実効的な力としては実際無力なのだけれども、まさにその無力さのゆえに、何らかの闘争の道具として用いられることも、稀ではない。それは、今に始まった事ではない。 アートは、真理――というと身構える人もいるが、そんな深遠なことを言おうとしているのではなくて、ようするにこの世の相対的な価値基準、現在たまたま通用している常識や政治的配慮の影響から離れた、何か絶対的なもの――に直感的に呼びかけるために、現世的な力を諦めることである。だからアートが「力」を持つとしても、それは政治的な力とは別種の力能である。 だがまさにそうした、政治的な相対的力を越えた質を持つがゆえに、アートには政治的な利用価値が発生する。だからアートは、この世の出来事であるかぎり、必然的に政治に巻き込まれる。これを避けることはできないし、避けられると思うのは幻想である(つまり「非政治的なア
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