池江璃花子の件って、アスリートが言ってきた「スポーツを通じて勇気/希望/感動を与える」ってクリシェの欺瞞性を白日の下に晒したように思う。近年、災害等の苦難にあった人々の力となることがスポーツの存在意義になっていたけど、今回はスポー… https://t.co/0eSKZXNnnY
![てつさん on Twitter: "池江璃花子の件って、アスリートが言ってきた「スポーツを通じて勇気/希望/感動を与える」ってクリシェの欺瞞性を白日の下に晒したように思う。近年、災害等の苦難にあった人々の力となることがスポーツの存在意義になっていたけど、今回はスポー… https://t.co/0eSKZXNnnY"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/46da62aca663f7406c8b0a745787463251c5eebd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1356818412110966785%2FMdjyseKV.jpg)
旭川の事件を知って思い出した。 自分、一時期世間を賑わせたいじめが問題になった学校の出身のものです。 前提として荒れてる学校だった。 近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。 私たちの学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。 そんな学校だから、成績ももちろん低くて私たちの学校の価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。 クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。 授業もできないから先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿な中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違
「ことば」と「自分らしさ」 筆者は「社会言語学」を専門に研究してきた。この分野は、ことばの社会的な側面に注目するが、ここでは、ことばを使って私たちは「自分らしさ」をどのように表現しているのかという問題を取り上げよう。 「ことば」には情報を伝えるという重要な役割があるが、それと同時に、会話に関わっている人同士の関係やイメージも伝えている。 最も分かりやすい「人称詞」の例で言えば、自分を「わたし」と呼ぶか「ぼく」と呼ぶかで、話し手のイメージは変わってくる。また、聞き手を「○○さん」と呼ぶか、「○○」と呼び捨てにするかで、話し手と聞き手の関係も変わる。さらに、会話に登場した人を、「あの人」と呼ぶか「あいつ」と呼ぶかで、その登場した人の印象も変わる。 つまり「ことば」には、自分はどんな人間なのか、聞き手とどんな関係にあるのか、また、話題に上がっている人をどう思っているのかなどを伝える働きもあるのだ
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