東京に出てきてからの約9年間で6回の引越しをした。どの家も築年数が浅くて、現代人たる我々のライフスタイルにあわせて設計してある賃貸マンション。たっぷり収納があって、家電も備え付けで、壁に絵をかけたい人の為にピクチャーレールというフックがあらかじめつけられていたりもした。 けれども福岡の実家に帰っていたあるとき、凍えるように寒い浴室に置かれた電気ヒーターや、見落としがちなスペースに佇む100均の収納グッズ(かご、つっぱり棒)などを見て、そうだ、生活するというのはこういうことだったとはっとさせられた。家に守られながらも、日々家と戦うように暮らす。家に負けないように、人間様が快適な暮らしが営めるように、家に強いる。本来こうあるべきではないのかと。 すると途端に、今の自分の暮らしが窮屈に思えてきた。すべてあつらえられた家では、家の意図するように暮らしていればまずほとんど不自由しない。でもそこに、そ
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