前回、あんなことを書いたので、久しぶりに禅語を書こうと思った。 (禅語も本から教わったので「読書感想記事」か) 広い意味での禅語は、狭い意味の「禅の言葉」に限らず「仏語」(「フランスご」 でなく「ブツご」)はもちろん、中国の名詩からとった言葉が多い。 多いから、いちいち感動していたら追いつかないので心が自動的に選択(制御) していたようで、これまで書いたのは選択された「好きな禅語」だけだった。 もう4回、繰りかえし読んでいるが(本はいまトイレ)、以前はそれほど感じなかった 言葉が新たに好きになった。 そういうのを、これからまたときどき、書いてゆきたい。 ーーーーーーーーーー 壺中一壺の天 (こちゅう いっこの てん) (『心が晴れる禅の言葉』という文庫本から。著者は赤根祥道さん《「現代禅研究所」の 理事長さん》 【引用】「どこにいても悠々とした天がある」という教えです) 人は誰もが自分自身
Hi there 20坪の完全バリアフリー住宅の 終の棲家に住んで1年たちました。 バリアフリーの家はとても安全で過ごしやすく、 快適です。 ずーっと築50年超の賃貸住宅に住んでいたので、 まさか家を建てるとは思ってもみませんでしたが、 築50年超の賃貸住宅より安心感はありますね。 ------------------------------------------------------ 何と言っても長年、外風呂・外トイレだったので 家の中に風呂場とトイレがあるのが嬉しいです。 家の中に風呂場とトイレがあると、とても便利ですね。 (当たり前か・・・) それと雨漏りもしないし、隙間風も入ってこないし、 床に穴が開いていないので、とても快適です。 ------------------------------------------------------ 60歳で家を初めて建てたのですが、
エッセイ Blue 34 発端はなんだっけかなぁ? ちょっとよく思い出せないんですけど。柴犬と猫とか、そんなものだったんじゃないかなぁ? YouTube でたまたま目にしてさ。ものすごく仲良しで── 。もう、度肝を抜かれてさぁ。それともちろん、なんてかわいいのだろう、って。素晴らしいのだろう、と。いとおしいのだろう、って。心を打たれました。そしたら、「おすすめ」にいっぱい出てきたんですよ。仲良しの猫と鳥さんとか、猫とウサギさん。猫とニシキゴイ。猫とかわうそさんとか、猫とおさるさんなんかもね。僕は猫好きなのでどうしても猫ちゃん中心のラインナップになっちゃったけど。 もうね、いろんな異種動物さんたちの仲良しさんたちがいるわけですよ、この世界には。仲良しの猫ちゃんとハムスターまでいるんだぜ! ハムスターって── ネズミ科じゃん? 僕はね、なんて言うか、この世界も捨てたもんじゃないなって感じました
夕方、子どもと公園に行くと、 長女の同級生二人が遊んでいた。 「一緒に遊ぼう」という雰囲気の中、 パッと探し当てた四葉のクローバーを長女が差し出した。 それを見た一人が 「カーミーーー!!」 さっそく四人で四葉のクローバー探しが始まった。 それに飽きると、草投げ合戦! 十数える間に、なるたけ沢山の草を手にもつ。 しーち、はーち、きゅーう、じゅう! ターゲットを絞ると、 投げる、投げる、 逃げる、かわす、 当てる、当たる。 草がない!! キャーキャー タンマ!タンマ!! タイムーー!! (タンマやタイムは今も昔も共通語だな) それにしても「妹」ていうのは、 誰とでも遊べちゃうんだな。 公園の木々が騒がしい。 ねこバスだ!! そんなことには目もくれず、 キャーキャー ざわざわーざわざわー タンマ、タンマーー ざわざわー いつの間にか私も一緒に声を出して笑ってた。 こんな日の夕飯は美味しい。 一
2回目は、「働く」ことそのもの。 ーーーーーーーーーー ② 働く主人公は、私 - 主体的に働く 江戸時代の「労働集約的な農家経営と手工業生産」ということで、 次のような記述があり、考えさせられた。 【引用】 「労働の主人 近代に至るまでの農民たちの働き方は、多様な課題を一人でマネージメントする… 労働の多様性 (労働の)内容の多様性です。ひとりでいろいろなtaskをこなす… 社会的な分業の未熟さ 江戸時代の農民たちはさまざまな課題を抱え、それに即して多様な仕事をこなしていました。… 経済発展が未熟であるために、誰もがそれぞれの仕事に必要な最低限の技能をそれぞれもって いなければ生活がたちゆかなかったからです…」 (注:(黒字)と太字はこちらでしました) 農民の主な仕事は田畑で米や野菜など食べるものを生産するという、人の生存に 直接関わる営みだが、家族みんなの労働として「着る、住む(休む)」
『仕事と日本人』 武田晴人 という本を読んだ。 新書版なのだが、中身がたいへん濃かった。 (グーグル画像より) 「あとがき」に書かれていた著者の姿勢が、本全体を貫いていた。 【引用】 「競争という手段、企業の営利性、金銭的な報酬で計られる労働の価値などは、 現代社会において普遍的な真理であるかのように語られている。 しかし、それは競争という手段への過信に過ぎず、営利性の追求が企業の社会的な機能をゆがめ、 金銭的な報酬の多寡への注目は、それとは異なる労働の意味を問いかけることを妨げている病根 のように見える」 (注:青赤とも太字はこちらでしました) 心に強く響いたことだけ3回に分けて書きます。 (次回以降も引用の文章は青字で書きます。長い引用文はいつも通り、【引用】とします) ーーーーーーーーーー ① 生きるために、それほど働かなくてはならないのか? 【引用】 「人びとは生きるために必要な
怒らないですむなら怒らないでいたい。 毎日を穏やかに暮らしたい。 個人的な身のまわりのことなら(努力すれば)平静でいられるけれど、 世の中、社会に目を向ければダメである。 (某議員や官僚の不祥事などを聞くにつけわざわざ抑揚をつけ、「バーカ!」と呟きたくなる。 やむにやまれずときどき実行し、そんな私も彼らと同類に見えるから「やめて!」と言われる) 社会まではムリでも、個人的なことだけでも怒らないですむ手軽な方法を 期待し、「HOW TO」だけわかればいいと思い、この本を読んだ。 『怒らないこと』 アルボムッレ・スマナサーラ・著 (著者は、スリランカの上座《昔は「南伝」とか「小乗」と呼ばれた》仏教の長老) (グーグル画像より) 長老は傾聴すべきことを、わかりやすく親切に述べてくださった。 私にはとくに二つのことが強く胸に響いた。 というのは、これまで似たような本はけっこう読んだけれど、こういう
前にも記事に書いた益田ミリさんのエッセイをまた読んだ。 『永遠のお出かけ』という。 (「グーグル画像」より) 「永遠のお出かけ」というのは死で、お父さんが亡くなられたのだろう と想ったらそうだった。 今回はお父さん(お母さんも)との思い出を中心に21の話が書かれてある 益田ミリさんは40代の漫画家でエッセイスト。 だいたいがエピソード話で、普通の庶民なら誰もが感じるとても身近な 生活くさい、でも心にツンとくる話が多い。 とくに今度のはお父さんとの思い出の話がよくあったので、 郷愁を引きおこす昔話が大すき老人にはよかった。 ガンで余命宣告を受け、亡くなられるまでのお父さん。 いて「あたり前」だった人が、ある日、いなくなった。 「永遠のお出かけ」 (さすがは益田さん! 心にピッタリくる表現をされるなぁと感心した) みんな何でもないような話であるが、心に響いた三つのことを。 ----------
題名にひかれ、『「おろかもの」の正義論』 小林和之・著という 新書本を読んだ。 (「おろかもの」がどんな「正義」を言うのか興味を感じ、おもしろそうな気がした) (グーグル画像より) 実は「おろかもの」というのは比喩的な言いかたで、ほとんどの人を あらわしていた。 現代の社会で、身近な、しかしたいせつな倫理的な問題に遭遇し、 そのとき自分ならどういう態度をとるか? 考えさせることがいろいろ述べられてあり、読んでホント、よかった。 (印象的だった二つのことだけ書きます) ーーーーーーーーーー ① 魔神の誘惑‐生け贄と見返り 【引用】 「〈魔神の誘惑‐生け贄と見返り〉 われわれは、自動車の便利さと引き換えに、8000人以上の人命を犠牲にしている… 魔神に生け贄を捧げるのとどれほど違うだろう?… 確実に死ぬとわかっている生け贄…と、不慮の事故によって死ぬのは違う…」 (交通事故は過失だが、現代でも
つぶやき Blue 18 雑事があったりして、一行も文章を書けないで終わった日は、一日をムダにした気がする。悲しくなる。 お金になろうがならなかろうが、それも関係ないみたい。とにかく文章を、文章作品をつづっていたい。 そうすることによって自分を、他者を、楽しませたいんだ。自身も没頭できるし、そして他者に喜んでもらえる可能性も生まれるわけでさ。その可能性が、心に安らぎを与えてくれるんだよ。 誰かを、うん、楽しませたいんだよなぁ。 だからけっきょく自分は、他者がいてくれるから、今日も生きているわけで。生きていられるわけで。生きていこうと思えるわけで。 あなたがいてくれて、生きていてくれて、本当にありがとうと言いたいのです。 あなたは何をやって、誰かを楽しませたいですか? それがうまくいくといいね。僕のことを楽しませてよ。 あなたと、誰かが、あなたの作り出すものを楽しむといい。 不安を忘れるとい
エッセイ Blue 33 自分のためだけの風景というものがある。あるいは、自分のためだけの風景だと思える風景がある。そんな景色に出逢うと、すぐにそれとわかる。一年に数えるほどしかない。二、三回もあれば上等だろう。友人といっしょのときにそんな風景とめぐり逢うと、できるだけ早いうちに、その場所へ戻ることにしている。今度は一人きりで。予定は何も入れない。真っさらなスケッチブックのような一日のなかで、特別な景色と向かい合う。単独にならないと、五感や六感を全開にすることはできない。風景のほうも、自らを開け放ってはくれない。本当に「見る」ことをしないと、それは訪れない。本当に「聴く」ことをしないと、それは聴き取れない。待つ。この時間も、良いのだ。だから何も描かれていない白紙の一日を用意する。 やがて風景は、内気な少年や少女が警戒をゆるめるように、まばゆいその美しさを徐々に見せてくれるようになる。 空が
「いちばん大切なものがわからなくなると、…」と前の記事に書いた。 大切なものは誰にだっていろいろ、いっぱいある。 あふれんばかりだ。 その「いろいろ、いっぱい」を根元で支えているものは「いのち」。 すべては「いのちあってのこそ」。 「いのち」を尊ぶことをいちばん大切にしなければならない。 「いのち」は特別に大切なのだ。 そんなことを思っていたら(いまは故人の)加川良さんの大好きな歌を 思い出した。 (「加川良」という題名で、3年前の8月14日の記事に書きました。 そのときの文章の引用になりますが、よく思うので繰り返して書きます) ーーーーー 彼の歌は、反戦歌、社会へのプロテストソングに思われるけれど、 「庶民、一般市民、小市民、民衆、凡人とよばれる私たち」の人生への 「応援歌」というのが当たっている気がする。 人の数だけある「大切なもの」。それをたいせつにしようと、 「いくら個人的には幸せ
『小熊英二時評集 私たちはどこへ行こうとしているのか』 という本のなかでのひと言が強く胸に響いた。 (グーグル画像より) 「いちばん大切なものがわからなくなると、 人間は不安定になる」 本は2016年の出版で、とくに東北大震災以後の日本社会の時々のさまざまな問題 への著者の思い、考えが述べられたもの。 その中にあった上のひと言に、強いインパクトを受けた。 ---------- 社会のなかで生きている、生活している人間。 生きていれば、いろいろとある。 時代・場所はさまざまでも、その中身は人によって違うけれど、どうすべきか悩み 迷うこと自体は普遍的な事実。 そして、「いちばん大切なものがわからなくなると、人間は不安定になる」 ということも普遍的な事実だと思った。 本はうなずくことがいっぱいあったけれど、この言葉に出あうために読んできた ような気がした。 (4日前の散歩で出あった桜。これに出あ
『あずかりやさん』 大山淳子 という小説を読んだ。 (グーグル画像より) 小説はすばらしいとは思っても、自分の感性にとっての当たりハズレがあるので よほど「読みたい」という気が起きないと読まない。 これはツレが珍しくすすめてくれたので読んだ。 読んでよかった。 おもしろかった。 ----------- 「あずかりや」というのは、何でも(物だけでなく人間も)預かる店だ。 (「預かる」ということに特化した便利屋さんという感じ) 1日100円、何日・何カ月・何年でも可。ただし前払い。 約束の期限内に取りにこなければ処分する。 (「処分」といっても人を殺したり、その遺体を捨てたりするわけではありません) 店主は物腰が柔らかくて誠実な視覚障害の若者である。 ----- 「あずかりや」という、商売が現実にあるのかないのか知らないが、 あればおもしろい、あれば助かる人が結構いるだろうと思った。 現実に
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