1.はじめに 会報NO.438の「台湾のラジオ放送」で台湾に残るラジオ塔について触れた折に、戦前日本の植民地であった地のラジオ塔建設のことを知りたいと『ラヂオ年鑑』を調べてみたが記述は国内のみであった。この時、ラジオ塔の建設が日本放送協会のラジオ聴取者加入数100万人突破記念事業の一環であったことを知った。同書によれば、1932(昭和7)年2月16日に100万人を突破したとあり、その数は1,000,260と1の位まで示されている。現在の日本ではラジオ受信機数はおろか、ラジオ聴取者数についても推定数しかわからないことに比べると、戦前はラジオが正確に管理されていたかよくわかる。では、その管理システムはどうのようなものだったのだろうか? 2.聴取加入数百万突破記念 日本のラジオ放送は1925(大正14)年に東京、大阪、名古屋で相次いで始まったが、翌年8月には日本放送協会(以下、協会と略)が設立さ