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ブックマーク / fujinkoron.jp (9)

  • ヒャダイン「『叩いてやるぞ』前提で見ている今、おじさんは苦境に」ヒャダイン×綾小路翔×清水ミチコ 清水ミチコの三人寄れば無礼講「経験あるの」〈後編〉|連載|婦人公論.jp

    今回のゲストは、孤高のヤンクロックバンド「氣志團」の團長を務める綾小路翔さんと、アイドルからビックアーティストまで、幅広く楽曲提供を行うヒャダインさん。清水ミチコさんとのとりとめのない会話の端々に、これまでの人生経験に根差した、2人の観察力、分析力の高さがうかがえます――(撮影=木村直軌 構成=誌編集部) <前編よりつづく> 面倒な柵 ヒャダイン 僕は同じ業界に知り合いもいないし、ライバルという認識もあまりなくて。翔さんと違って縦社会を知らずに生きてきたので、この世界でよかった。ミッちゃんには、そういう面倒な柵はありましたか。 清水 縦社会はなかったけど、お笑いの世界は男社会ではあったから。まあ実際、男性のほうが腕もあったし、命を懸けるくらいの情熱を感じたのも確かだけどね。 ヒャダイン 最近の芸人さんを取り巻く環境は、ずいぶん変わった印象がありますよね。女性芸人さんの扱いも変わってきまし

    ヒャダイン「『叩いてやるぞ』前提で見ている今、おじさんは苦境に」ヒャダイン×綾小路翔×清水ミチコ 清水ミチコの三人寄れば無礼講「経験あるの」〈後編〉|連載|婦人公論.jp
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    akira28 2021/12/18
  • 元ドロンズ大島直也 母の介護で仕事は激減、借金も…「それでも、母を支えたかった」 何より大事なのは「情報」|芸能|婦人公論.jp

    高齢の母がステージIVの末期がんを患い、介護のために仕事をセーブせざるをえなくなった元お笑いコンビ・ドロンズの大島直也さん。息子ひとりでの介護、そしてお金の問題と、どう向き合ったのでしょうか。(構成=福永妙子 撮影=社写真部) 「暗黒」の時代、母が末期がんに 母が81歳で亡くなって、もうすぐ2年。朝は仏壇に手を合わせ、遺影に向かって「おはよう」の挨拶、夜はその日の出来事だとか、あれこれ話すのが僕の日課です。晩年の母を介護した日々は、とにかく後悔だけはしないように、母が最期まで幸せでいられるようにという一心で、がむしゃらに走り続けた1年半だったように思います。 横浜でひとり暮らしをしていた母から「大変なの」と電話がかかってきたのは、2015年の年末。健康診断で引っかかったらしく、不安な声で「病院に行くの、つきあって」と言いました。検査の結果、診断は肺がん。それもステージIVで、腰骨に転移し

    元ドロンズ大島直也 母の介護で仕事は激減、借金も…「それでも、母を支えたかった」 何より大事なのは「情報」|芸能|婦人公論.jp
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    akira28 2021/08/17
  • いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp

    芸歴37年、女優・タレント活動を続けながら、大学院へ通う学生生活を送っている、いとうまい子さん。45歳で大学進学を決意した経緯と、現在の日々について聞いてみると――(構成=内山靖子 写真提供=いとうさん) 夫の言葉に背中を押されて 芸能生活25周年を迎えたころ、社会に対して何か恩返しがしたいと思うようになりました。18歳でデビューして以来、この世界で仕事を続けることができたのも、長年、私を支えてきてくれたスタッフや仕事関係者、ファンのおかげ。周囲の方々に、何らかの形でお返しをしたかったのです。 でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入った私は、恩返しの術を何も持っていなかった。そこで、まずは大学に入ってさまざまな知識を身につけ、自分にできることは何かを考えてみたいなと思って。 とはいえ、ドラマやバラエティ番組の仕事をしながら大学に通うのは時間的にかなり厳しい……。なかなか踏ん切りがつかないまま

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    akira28 2021/02/26
  • 山口もえ「恋愛スイッチはオフだった私が、彼との再婚を決意した瞬間」 「ああ、私たちは家族になれる」|芸能|婦人公論.jp

    「子育てと仕事に追われていた私の“恋愛スイッチ”は、長らく完全にオフ状態。彼と共に過ごす時間は心地良くて幸せだった。にもかかわらず、それが恋愛とは結びつかなかったのです。」(撮影:大河内禎) 日9月15日の『徹子の部屋』で、再婚5年目の今を語った山口もえさん。ともに離婚経験のある2人が再婚、一方は初めて父になる──。芸能人ならずとも難しそうな再婚までの道のり、山口もえさんの背中を押したのは、子どもたちの「家族になりたい」気持ちの強さでした。4年前、爆笑問題の田中裕二さんと再婚について語ったインタビューを再配信します。(構成=平林理恵) 恋愛スイッチは完全オフ。ママ業最優先の日々に 2015年10月、「爆笑問題」の田中裕二さんと結婚しました。以前からお付き合いをしていたのに、それを明かすわけにいかず、とても心苦しく思っていました。結婚の意思を固めたのはもうずいぶん前です。でも、万が一にでも

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    akira28 2020/09/17
  • 壇蜜「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」 「40歳までは生きろ」が家訓でした|芸能|婦人公論.jp

    日の『徹子の部屋』に登場する壇蜜さん。独特の存在感で男女問わずファンの多い壇蜜さんは、2019年11月に漫画家の清野とおるさんと結婚し、話題になりました。一風変わったペットを飼うなど、マイペースだったひとり暮らし。はたして2人の新婚生活はいかに(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司) 毎晩の日記とペットが私をリセットしてくれる 小学生の頃から、ずっと日記を書いています。最初は、学校の先生に言われて始めたのですが、自分の中で続けられることが、せめてひとつでもあったらいいなと思って。芸能界に入ってからも、ほぼ毎日、寝る前にタブレットで書くのが習慣になっています。 私の場合、日記は物事を忘れるために書くんです。嬉しいことも、そうじゃないことも、書いてしまえば次の日まで持ち越さずに済みますから。たとえ嬉しかったことでも、その感情をずっと抱えたままだと、生きていくうえで足かせになってしまうことがある。だ

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    akira28 2020/07/14
  • 〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」 終わりのない後悔と絶望にさいなまれ|人間関係|婦人公論.jp

    「戸惑う私の背中を押してくれたのは、「多くの人の命がかかっているときよ。不安な気持ちはわかるけど、あなたの知識をもっと広く伝えるべきだと思う」という友人の言葉でした」(撮影:大河内禎) 2017年、週刊誌の報道で秘書への暴言が明るみに出て、世間から大バッシングを受けた豊田真由子さん。順風満帆だった人生が一変しました。当時のことは「パニック状態で記憶が定かではない」というものの、沈黙を貫いてきた3年をどう過ごしてきたのでしょうか。現在発売中の『婦人公論』6月9日号に掲載された、ロングインタビューを配信します。(構成=丸山あかね 撮影=大河内禎) 情報番組の出演依頼を受けた理由 現在、新型コロナウイルスにどう立ち向かうか、テレビで解説する機会をいただいていますが、出演オファーをお引き受けするまでは、ずいぶん悩みました。「あいつの顔など見たくない」といった視聴者からの抗議が殺到したらどうしようと

    〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」 終わりのない後悔と絶望にさいなまれ|人間関係|婦人公論.jp
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    akira28 2020/06/01
  • 高木ブー「84歳で車の免許を返納。僕の心を動かした娘の一言」 「まだ自分は大丈夫」と思っていた|芸能|婦人公論.jp

    ザ・ドリフターズの高木ブーさんが自動車運転免許証を返納したのは4年前、84歳の時。当時はまだ返納者が少なかったこともあり、大きなニュースとなりました。きっぱりと運転をやめた背景には、コメディアンとしての強い思いもあったそうです。父娘の対談で明かされた経緯とはーー(構成=上田恵子 撮影=社写真部) 「タレントが運転してはいけない」と言われた頃 かおる 最近、高齢者の運転による事故が増えているなと思うの。うちはお父さんと、私たち夫婦と息子の二世帯同居だから、一緒にテレビを見て、事故のニュースについてあれこれ話し合うことも多いね。 ブー 当に、毎日事故のニュースを見ている気がする。僕が免許を返納したのは、17年の3月か。取るのは時間がかかったのに、返すのはあっという間だったな。 かおる お父さんが免許を取ったのはわりと遅かったのよね。私が中学生の時だった記憶がある。 ブー 42、43歳の頃だ

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    akira28 2019/12/04
  • 玉袋筋太郎「親父を死に追いやった姉夫婦を、今も許せないまま」 理想の家族も、いつ壊れるかわからない|芸能|婦人公論.jp

    昨年出した著書で、玉袋筋太郎さんは父が自殺していたことをはじめて明かした。当時、自身は35歳。その死を受け止めるには若く、また、人に語ることでもないと胸にしまってきたのだ。なぜ父を突然失わなければならなかったのか。そして、その後芽生えた家族観とは。(構成=福永妙子 撮影=川上尚見) メモに「ごめん」とだけ書き残して オレには3歳上の姉がいるけど、この17年間、まったく会っていません。オレから絶縁を言い渡して以来、今どこで何をしているのか、生きているか死んでいるかも知らない。 うちの実家は雀荘をやったりスナックをやったりしていたので、両親は共働き。いつも一緒に留守番をしているような姉弟だった。親父やお袋といるより、姉と過ごす時間のほうがずっと長かったし、たくさん遊んで、世話もしてもらって、仲よかったんだよ、あの頃は……。 それなのに、姉と縁を切ろうと決めたきっかけは親父の自殺です。遊園地の観

    玉袋筋太郎「親父を死に追いやった姉夫婦を、今も許せないまま」 理想の家族も、いつ壊れるかわからない|芸能|婦人公論.jp
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    akira28 2019/12/04
  • 3万冊の蔵書と、4000匹のぬいぐるみ…新井素子の「捨てない」暮らし 本に殺されないために建てた家|教養|婦人公論.jp

    棚のは、日人作家は原則あいうえお順に。ただ、“新格”系は「あ行」の作家が異常に多いなど、棚にかなりの偏りがあるのだとか。ちなみに、飛びぬけて冊数が多い赤川次郎さんのは、別にコーナーを設けてある。書庫は写真の右奥にも続く(撮影:社写真部) SF作家の新井素子さんは、祖父と父母が出版社勤務で、幼少時からたくさんのに囲まれて育ったそう。「は絶対に捨てない」のが当たりまえの生活に、大量のぬいぐるみコレクションが加わって――。いったいどんな暮らし方をしているのでしょうか。(構成=上田恵子 撮影=社写真部) ***** ◆いつもが身近にあった 私は現在、およそ3万冊の蔵書と、4000匹以上のぬいぐるみ――私は彼らのことを“ぬい”と呼んでいます―― に囲まれて暮らしています。正直、どちらに関しても正確な数字が把握できていないので、あくまでも推定ですが。 今住んでいる家は、1996年に

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    akira28 2019/08/28
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