ミルトン・フリードマンは、1912年ハンガリー系ユダヤ移民の子供として米国に生まれました。エリートとして生まれ育ったケインズとは対称的な家柄と言えます。 「移民の子にとって、政府は遠い存在であったに違いない。遠くから冷静に政府を見つめ、政府というものの“うさん臭さ”を生来的に感じ取っていたのかもしれない」 竹中先生は、そう分析をしてくれました。 彼は、シカゴ大学で学び、やがて「シカゴ学派」の中心人物となっていきます。 きわめて好戦的で、頭の回転が早く、弁が立ち、論争に強い経済学者としてその名を知られたといいます。 彼がシカゴ大学で、自由経済の論者として活躍した1970年代は、世界中がスタグフレーション(後述)に悩み、ケインズ政策の限界が露呈した時代でした。 当初異端児と言われていたフリードマン理論は、この時代背景を受けて主流派となり、80年代のサッチャーリズム、レーガノミクス、中曽根民活論